こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

スリザーを観て虚無を突っつく(02.21)

昔に観たジェームズガン監督の”スリザー”を久しぶりに観た。

ガーディアンズオブギャラクシーで、私はあっという間にガン作品の虜となり、当時働いていた映画館の先輩からDVDを借りて観たことがあった。

 

寄生虫のような宇宙外生命体が地球に落ち、一人の体を司り徐々に侵略が始まるというグロ描写も多いSFホラー(?)作品である。

当時はうげ〜〜と直視できなかったのだが、今見るとあまりにもバカバカしく愛おしく、キュートに感じた。

とにかく愛とリスペクトと破壊衝動を持って作られたのだなあとジーンと来てしまった。

 

 

ガン監督の主人公の男はよく裏切られて結局救いのないままモンスターとなるか、ショッキングな出来事により大きな孤独を一人で背負い生きることになる。

辛すぎやしないか。究極の二択である。

しかし、その人生を最高にくだらなくバカバカしく描くガン監督は本当の地獄を味わっているのだろう。

 

プラスなんてそもそもないんだよ、君の持っているマイナスの中にある”絶対”で突破口を作るしかないんだよ。

そんなメッセージを究極レベルで勝手にそう受け取っている。

しかし、本当にそうだなと思う。

 

この日記でもよく「自己肯定感」という言葉を怪しいと睨んでいるが、自己肯定感を高めることは虚無をより深めることだと私は思っている。

それより、目の前にある虚無本体にこそヒントが眠っており、その正体を明かすことが突破できる糸口を見つけられることだと信じている。

結局、何に催眠をかけて突破するかなのだろう。

 

 

ガン監督の映画はどれも冒頭で、主人公に何かが宿る。

それはもしかしたら大きな催眠=妄想とも取れるだろう。

だからこそ、物語は大きく動き自然と変化が生まれる。

そして、モンスターになるか、圧倒的な孤独と日々を過ごすことになるか。

 

辛すぎぃぃ!!!!!!!!!!

 

 

それから”フィールドオブドリームス”も観た。これがまた面白かった。

この映画もまさに”幻聴”から始まる映画であった。

生活の中で突然誰かの声を得る。そして、周りからは狐憑きだと思われながらも、全身全霊で取り組むことにより、その幻を世の中へ見事に結びつけた。

目の前の虚無から取り出した答えが、亡き父とのキャッチボールであったのだ。

 

雨が続く日々の中、じっと部屋で過ごしていた。

なんか気が重いなあ、と部屋に充満する虚無に正体を明かさせろとツンと突いてみると「爆弾低気圧」という5文字が浮かんだ。

ヒントになるもん、ねぇえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

結局、作りたいものは出来ず、寝た。

背にある虚無は明日やろう、明日やろう。