こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

ぐうぜんのきろくとちかく(01.24)

大原大次郎さんの展示を観に行った。3回観に行ったのは「スパイダーバース」の映画以来だ。

さすがに、3回となるとまたか!となってしまう。入り口を見ると大原さんがいてサインを描かれている。私はネイキッドスネークよろしくすすすと入場し、2階の更新された映像を観て地下1階の見落としていたモノをじ~~っと観て回った。

 

何度見ても、超楽しい!!!

 

3回目にしてやっとおこずかいが貯まり、やっと本がゲットできることになった。

せっかくご本人もいるしサインんがほしい・・・!

結局、またか!と思われてしまうかもしれないが、もうそっちを選ぼう。そうだ、これはもう行くしかなぁぁい!と1階に上がると「お!土屋くん~!」を大原さんが明るく声をかけてくださった。

 

そうだった、大原さんの視野角は広い。それは前の展示を観に行った時にも感じた。そ~~と動いていても気づいてくれるのだ。

恐れ多いが、きっと大原さんはスプラトゥーンをやったらめちゃくちゃ強いのだろう。

 

ようやくゲットできた本のページに、自分の名前の文字が大原さんの字体で紙に生まれていく。それにバンド名まで・・・。

 

私はこの展示に2度足を運ぶ中でグルンと気持ちに変化が生まれた。

手前にあるもの。そう、手前にある遊び。そうそう、手前にある遊びの地獄。

 

これだ。これだよ。と自分の細胞が突然変異していった。

 

かねてからお世話になっているsenkiyaチームと生み出されたこの時空は、人のちかくだけでなく細胞までも変化させてしまうのだ。

本当に最高に楽しい空間なので、気になる方はぜひ足を運んでみてほしい。

 

 

2022年の年末に川口senkiyaさんにてHei Tanakaとライブをした。

企画”food stock”は満員御礼の客席で12年ぶりに開催された。(さつまいも最高に美味かった)

 

憧れのHei Tanakaとのライブは正直悩んだ。リーダーの田中馨さんは敬愛するSAKEROCKのベーシストだ。

ちゃんと対バンできるくらいに自分たちはちゃんと伴っているのか。どうしてもファンの空気をだだ洩れにしてしまうのではないか。つまりは「ライブ」としてちゃんと成立できるか不安だった。

 

そんななかこの企画の主・なぐもさんが「今やるんだよ!」と背中を押してくれて「🔥」の気持ちをもって臨むことにした。(なおその日をもって🔥の絵文字を使うことを解禁した)

 

 

まだコロナ渦の続く2021年。senkiyaのギャラリーtanabikeをお借りして撮影を行った「喪服の裾をからげ」のMV。

葛飾出身との草野球チームみたいな名前の映像ユニット「西東京アールグレイズ」で作ったこのMVを本当にうれしいことに同じtanabikeにて上映会を開催できることになった。

 

しかし、まだ観客を入れることはできないためインスタライブにての開催であった。

出摩訶脊髄MANDAN倶楽部に司会をお願いして配信でも楽しめるようみんなで試行錯誤した。そこになぐもさんもこっそり観に来てくれた。

 

終焉後、その場かぎりのミニライブを行った。お客さんは司会の二人となぐもさんと高橋店長の4人。この日はリード楽器のないトリオ編成(MURAバんく。未満編成)でのライブであった。

その中で初めてSAKEROCKの「七七日」をカバーした。めちゃくちゃ拙い演奏だったが

この曲にこそ、このバンドのスタート地点があるのだと、ここにおいては「好きだから」ではなく、その歴史に対してのリスペクトを伝えたくて、カバーをやってみることにした。

お客さん4人と演者3人のたった7人の空間。たった7人の空間であったにも関わらずその現場が歓声によってゆらいだ感覚がした。

 

ライブが終わって、改めてお話するなかでなぐもさんがSAKEROCKのDVDを貸してくれた。

「ぐうぜんのきろく」シリーズに「ラディカルホリデーその0」。

中高の頃、どこでもゲットできずずっとYOUTUBEの予告編だけをずっと観ていた。

それはもうスケベ雑誌の袋とじの向こう側を妄想するように、移り行くカット割りに文字、音楽の全体を妄想した。

ついにその全貌が、ついについに観れたのである。

 

それはもう答え合わせのようでありながらも、何よりも極上の楽しい箱庭であった。まさにプレゼントのような作品たちであった。

短い予告編、ネットに残っているほんの少しのインタビューから知れなかった「山田一郎ワークス」を全身に浴びた。中高の頃、予告編を何度も見て、こんな大人になりたいなと思ったあの感覚は今も変わらず純度100%であった。なぐもさん、ありがとう。

 

 

大盛況のままに12年ぶりのfood stockは幕を閉じた。

セトリに入れるかギリギリまでみんなで悩み、円陣を組む時に「これは、やろう」と七七日をカバーすることにした。

どう受け止められるか不安だったが、これはやるしかないと思いを切ることにしたのだ。

 

自分たちの出番が終わった。椎名ボーイが最後の日ということもあり、より音楽の世界に居たのか、自分がいないような宙に浮いているような感覚がした。

すると鍵盤の小田くんも全く同じことを話しており、これは良いライブができた!と初めて思えた気がした。

 

しかし、あまりよくないのだが、田中さんとどう挨拶したらよいのかわからなく、しっかり挨拶できずにずっとうろちょろしてしまった。

そ~っとケースにギターをしまっていると、そこに足が ── 田中さんと牧野さんが現れたのだ。

 

 

SAKEROCKGUIRO............そしてHei Tanaka..................!!!!!!!!!!!!!!

 

 

イメージしてみてほしい。目の前に突然クッパガノンドルフが現れたようなものだ。

ヒイイイとスゲーーーーーーの入り混じった感情でいると「七七日をカバーしてくれてありがとう」と田中さんが第一声でおっしゃってくれた。

 

いつもnatunatunaさんにライブ告知の動画を撮ってもらい、談笑をしているsenkiya音楽室。そこで田中さんと牧野さんと3人の空間での会話が続いた。

こんなぐうぜんが起こるなんて、いつか想像できただろうか。

このONDO CLAPの灯は消してはならない。そう強く胸に刻んだ日であった。

そして、Hei Tanakaのライブはとんでもないエネルギーと楽しさで爆発しており、もう魂が踊り転げた。

 

そして、帰宅してインスタのストーリーズを見ると田中さんが最後の集合写真を投稿してくれており、そのメンションをよ~く見てみると・・・

 

「@daijiro_ohara」と。

 

 

えええええええええ!?!?!?!?!?

大原大次郎(さん)がいたの!?!?!?!?!?

 

帰宅後の真っ暗な部屋にてびっくり仰天であった。

大原さんのデザインしたグッズをゲットするために、どれだけ夜行バスに乗ったことか。

時には部活に嘘をつき「先行販売」という言葉にどれだけひた走ったことか。

私が言えたことではないが「誰か紹介してよ~~~」とこころの底から思った。

それから、しっかりお話しできるまでまた日が開くのだが、これもまた「ぐうぜん」なのである。

 

 

こんなことご本人には直接伝えられないが「つい心惹かれてしまうものは、デザインの手前にあふれている」という言葉が誤解を恐れながらも、本当にわかる。

去年、いろいろ考えの旅をする中でたどり着いた私のワクワクするものはやっぱり「手前」にあるのだ。私はそれをちょっと恥ずかしいが「いのちの輝き」だと思っている。

 

好きな音楽がやっぱり40’sが多いのはまさにそこと繋がっている。

その時そこに居る人たちの感覚で成り立ったリズム、アンサンブルこそがキュンときてしまうのだ。

教科書などはない。そこに集まった何かに対しての好きがある、またはその好きにおいて自信がある人たちが「せーの」でできた、ぐうぜんのきろくなのだ。

 

作法のある音楽ももちろん好きだが、自分の細胞が躍るのはどうやらそのぐうぜんが作り出したモノが多いようだ。

なんだか直接、その人たちの遊びに触れられる気がするのだ。

だから、音楽も効率が悪いと言われちゃうが、鬼のジャムを繰り返してその一点を見つけたくなってしまうのだ。

 

大原さんの泥くささはカラフルなインクだ。

それが全部遊びにできるなんて、やっぱりすごすぎる。

 

そして、高校の頃に決めたことあることをハッキリと思い出した。

一般的な就職に自分の居場所はない。そして、そもそもこの世界に幸せなどない。

悲しい記憶に勝つ、そのためには地獄を進むこと。

おれはどの地獄を選ぶか。なら、おれはものづくり地獄を進むんじゃ~~~!!!!と誰にも言わずストッと帰路の愛瀬川沿いで思ったことを。

ありがとう、大原さん。変わらず、この地獄を進むことにしますぜ。

 

どこでぐうぜんは生まれ、どこでちかくが開くかなんてわからない。

しかし、一寸先は闇の中でもやっぱりキュンを持ち続けることは大切なのだ。

 

そんなことで没頭していたら、あっという間にAM10:00。

嘘だろ・・・・・・・・。

遮光カーテンを捲ってみたら、外は完全に一日が始まっていた。

オップス。

しかし、とある構想がやっと固まった。

今年、ついに(やっと)MURABANKU。のアルバムが出ます。

もう電波ゆんゆんだよう。おやすみ。