こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

白々しさを超えるには(03.03)

編集作業でお世話になっており、近年DJでも活躍している小島えもと東京ドームで開催されているオードリーのオールナイトニッポンのイベントへ行った。


さすが細かい男である。展示を見て→飯を食って→謎解きをするという完璧のスケジュールを組んでくれた。

もうこれに跨がれば一日楽しめるぞというトロッコが目の前にあったのだ。

それはもう〜もちろんありがたく便乗させてもらった。


あの東京ドームライブのことはいまだに1日に数回思い出す。

それを作った人たちの血と涙の結晶といえる歴史の跡を追うのだ。



中華を食べながら「最近、若林のキューバの本を読んでてさ」と『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』の文庫本をリュックから取り出した。


「仕事ライクな関係性に居心地の良さを感じる。そこに白々しさはない」(うる覚えのため全然違う文章かもしれないが)


小島氏が「ちかとくんの感覚ってまさにこういう感じなんだなって思ったよ〜」と話してくれて、うぉ・・・ありがたすぎる・・・と思ったと同時に申し訳ないことを思い出した。



バンドの攻略本を作るのは、本当に想像以上のHPとTIMEを要いた。

それに最後まで付き合ってくれた小島氏には本当に頭が上がらない。


しかし、とある日に事は起きた━━

それぞれの1日を終えた深夜に通話は繋がれ、作業の確認をして各々進める日々が続いた。

そのとある日は、流れで作業通話になった。


普段からなんでもない、ただふざけた通話をする仲で、作業を進めながら今日も今日とて雑談をしていた。


「〜〜の締め切りがやばい」

「〜〜をやんなきゃいけない」


公園でフリスビーを投げかうように、作業は進んでいく。


「〜〜どうしてるんだろう?」

「〜〜が面白かった」

「〜〜がうまかった」


ベンチに座って一息つくように、作業は進んでいく。


「〜〜のもめちゃくちゃ美味かった」

「あ、すみません、通話切ってもいいですか?」

 

 

「え!?!?は!?!?!?!?」


小島氏のあのスピーカー越しの声色を忘れることはないだろう。

こんな夜遅くまで作業を進めてくれ、耳より情報を共有してくれた返しに「あ、すみません、通話切ってもいいですか?」は紛れもない「え!?!?は!?!?!?!?」である。


う◯こを漏らしそうになった瞬間に一気に冷静になる、あの感じだ。

私の何かがシャットダウン、もしくは漏らしそうになり一気に冷静になった上での寒暖差甚だしい提案である。



中華屋にて、その時のことがフラッシュバックされた。

いやあ、これは流石に直さなければならない部分である。とても失礼なことをした。


小島氏からしても不思議であったのだろう。私もなんでそうなってしまうのか現在模索中なのであるが、さすが紐解きニストである。

しかし、実際そうなのである。


誰かと遊ぶ=打ち合わせ→作品作り、なのである。


バンドメンバーとも、音楽をやるぞということで集まり共闘してる感覚でいるが故に、ある種仕事ライクでいると時に良くない方へ傾くこともある。


「ひとりで居られる」ということは時にマインドを強く持て過ぎてしまうことに繋がるのだ。

だからこそ、時になんか白々しく感じてしまうことがあるのだろう。


それでいうと私には”友達”はあまりいないが”おともだち”はいるのだ。(もちろんあの二人の関係性に勝るものはないが)



これは、リアルヒップホップでいたいと白々しさをなるべくカットしてきたことが発端なのかな、と思ったがもう一つあった。


私はポケットモンスター育ちなのだ。

サトシが持っているものこそ”おともだち”の感覚だ。


サトシとバタフリー

サトシとリザードン

サトシとグライオン

サトシとゲッコウガ


時に共闘し、分かれ道で手を振って振り向かずそれぞれの先に行く。

絶対的な何かと繋がっている感覚を持って。


しかし、思った以上に人は人と連絡を取るものだ。

私もサトシとリザードンが分かれた後にポケナビで連絡を取り合っている光景を当時見ていたら変わったかもしれないが、それぞれの世界線を生きていくものだと思っていた。


人生をアドベンチャーだとどこか捉えているそれはただ中二病を拗らせているということなのだろうか。


私はきっと「再開」が好きなのかもしれない。

それは何年越しではなく、数週間の単位でも。


あの時〜〜って話してたけど、おおお〜〜〜!!みたいな感覚。

そこに白々しさはないのだ。


サトシがリーグで、リザードンの力が必要となった時に帰ってきたあのカタルシス

それこそ「強くなって、また会おうやぁ」である。



オードリーの15周年展はまさにその結晶であり、痺れた。

そこにこそ生まれるドラマがある。


ここにたどり着くように連鎖を仕掛けたのも、もしかしたら紐解きニストの手中だったのかもしれない。

恐るべし、紐解きニスト・小島えも。


銀たこを食いながら今後の話をして、ドームから駅までの帰りに心底どうでも良い話で盛り上がった。

本当に最低にどうでも良い話だ。そして、お互い帽子を深く被り駅で解散した。


楽しかったなあとぼんやり揺れる帰りの電車でふと思った時に、この先のきっと現実になると良いなあということが色々浮かんだ。

何か作りつづけることだ。