オードリーの東京ドームライブを観に行った。
寝るのも起きるのも家を出るのも、すべてが緊張した。
絶対に何かが起こる。絶対に自分の中の何かが壊れて、何かが生まれる。
身体中を蝕む絶対的な”びびび”があった。
このライブにおいてはネタバレという概念がないので、未だに言語化できない感情と情景と感動と破壊を自分なりに書いてみたいと思う。
○
“それをつくれば みんながやってくる”
全席が満員となった東京ドームをこの視野に全部おさめられるスタンド席の2階。
かつての一宮、日本武道館ライブも共にしたデラックスと観に行った。
ギリギリで合流し、席につき近況報告をして周りに聴こえない声量でお互いの好きなトークで静かに盛り上がる。
オンタイムで会場が暗くなった。(もうこのオンタイムで始まったことに全てが詰まっていた。)
その瞬間に、私もデラックスもひとりになる。周りもどんどん、圧倒的なひとりになっていく。
「それを作れば 彼がやってくる」。
スクリーンに映し出された”フィールドオブドリームス“オマージュのオープニング映像。
ケヴィンコスナーよろしくとうもろこし畑を分けいる若林が映る。
「お、ドローンで撮ってるんだ」なんていう、ふいに生まれてしまうメタを全力で殺した。
まっすぐ"遊ぶ"ことにしたのだ。
○
オープニングから登場シーンまで、全てがもうカッコよかった。
本当に、バカ。そして心底くだらなく、本気でしょうがない。
それがもう、本当にカッコよくてどこかで得た脳の痕跡が光り、私は爆笑していた。
なにがこんなにカッコいいのか。それはきっと、若林はじめスタッフのみなさんの持っているリスナーへの信頼度だ。
熱と愛を持って聴いているリスナーへの信頼度が圧倒的に高かった。
世の中で「これ」と据え置かれているもの度外視で、自分達の中心点だけをやる。
それだけをやるという気概と、それを持っての共鳴があるはずだという若林の確信をステージから感じた。
その姿勢にグッとシビれた。
本当に世の中退屈なことばかりだ。そんなヘイトすらまさに無化してくれるような、バカでくだらなくしょうがねえライブが始まったのだ。
春日においては、日本武道館の時とは明らかに違うオーラを身に纏っていて、びっくりした。
ザ・ビッグトゥース。とにかくキレていた。
○
オープニングトークとそれぞれのフリートークが終わり、ショーパブ芸人が現れ思わず声が出てしまう。
隣の青年が「出た!」「○○だ!」と少しタイミングの早い歓声を挙げていたが、それもお祭り感を高めてくれ、こんなスピードで魂を消費することってあるっけ?と思うほどに笑った。
その後のコーナーたちは、本当にブッ飛んでいた。
意味不明。まじでイカれている。
しかし、その衝撃の振動がこの全身に伝わった時に言語化できない絶対的な何かが届く。
ガツンと届く。なんなんだこれは。
圧倒的ないのちの輝きがドーム全体に満ちていた。
○
もうあまり聞かなくなってきたが、大学の頃よく多用されていた言葉だ。
私は比較的所謂”陰キャ“のカテゴリーに入るのだが、それはそれで居心地が悪かった。
自分は陰キャだ、アイツらは陽キャだと指をさす人たちに限って、群がって集団となってバーベキューをしていたり、旅行へ行っていたりしていた。
やってること同じじゃん、だっせぇ〜なんて思っていると、本当にひとりになっていた。
自分が無になるほど、全力で何かに打ち込んだり楽しんだり”遊ぶ“ことは恥ずかしいことなのだろうか。
"自分たちは陰キャだから"という免罪符ほどずるいものはない。
しかし、夢中になるには言い訳が必要な世の中になってしまっていることもあるだろう。
冷笑文化が巡り巡っていることが原因なのだろうか。
もちろん自分の中にもその「やってるなあ」という感覚があったが、その感覚すらだんだん退屈になってきてしまい離脱することにした。
身の回りの人から「やってんなあって思ってそう」と言われることがたまにあるが、そうは思ってはいない。
しかし、そこにある別の感情は外に出しても共感されるものではないため、そっと隠すように過ごせば、もっとひとりを行くことになる。
そんな時に「朝井リョウ・加藤千恵のオールナイトニッポン0」にどハマりした。
朝井リョウのトークを聴き「わかる〜」と共感し、加藤千恵のリアクションを聞いて「え、この感覚異常なんだ…!?」と自分の感覚という歪さを知った。
圧倒的ひとりにも寂しさというものは生まれるのだ。ここが唯一の自由に踊れる場所であった。
そのラジオ内でよくオードリーの話題が上がった。
オードリーのラジオを聴いていないとわからない話題、笑いがあったのだ。
いや、身内ネタばっか、知らんわ。という感覚よりその知識がない状態でいることの申し訳なさがあり、3、4年で10年分のオードリーのラジオを全部聴いた。
当時は当たり前の感覚でいたが、起きてラジオをつけて大学まで、授業が始まるまでずっと聴いて、業後また続きを再生して帰宅後もゼルダの”ブレスオブワイルド”を進めながらずっと聴いていた。
無理な便乗をやめた結果、もう当時の記憶がハイラルとラジオにしかない。
上京してインドカレーうまっ!と感動とした時に「大学生かよ」と突っ込まれた時にハッとした。
大学後半はもはや氷漬けのような期間であったのだ。
あのトークはバイト先の映画館の更衣室で聴いたな、あれは41号線のマックで聴いたな、あれはリビングへ飲み物を取りに行った時に聴いたな、と聴けばその時の風景が蘇る。
自分の日常は変わらないが、ジングルはつぎつぎに移り変わっていく。
ラジオ内の月日がついに自分の過ごしている時空に追いついた時の妙な儚さ。
すべては、そんな退屈な日々の中で全力で何かに没頭できる自分を持続させるためのものであったかもしれない。
○
せり上がったターンテーブルに若林が立つ。
スクラッチなどを見事にキメて、さらに笑いを取る。なんてカッコいいんだ。
しかも、そこにちゃんとバーヒデやDJ KOOなどへのリスペクトも詰め込まれている。
まさしく、リアルヒップホップの姿勢を教えてくれたのは若林だ。
そして、とある一曲が流れ、その一音目で全細胞が反応し、フライングリアクションだけはなんとか抑えようとしていたのだが「あ、まじか」と反応してしまった。
星野源さんが現れる──。
イントロが通常の2倍の尺で流れた。
予感、いや脊髄の反射は本当に的中し、星野さんが登場した。
流れていたのは星野源 feat.MC WAKAの「Orange」。
◯
2020年春、上京して翌日にコロナによる長い自粛が始まった。
全く知名度もなければやることもなかった。
家でゲームをやりこむ期間が始まり、少し緩和されベースの丸山君の自宅へ通う日々が続いた。
やることと言ってもポッドキャストの録音をするかアニメを見るかくらいなのだが。
そこがまさに阿佐谷であった。
練習スタジオも格安になっている高円寺を選び、高架下を自転車で走る日々が続いた。
楽しい事はほとんどなく、どこに続くか全くわからない道をただ走り続ける日々だけであった。
2020〜2022年頃までの期間は本当に濃厚な時間を過ごした。
いろんな場所で自分だけに関わらず理不尽な状況を目の当たりにしたり、自分の足りなさに絶望する日々が永遠に続いた。
しかし、そんな我々をも掬ってくれた阿佐谷の定食屋の温かさを忘れる事は金輪際ないだろう。
丸山くんが阿佐谷から引越して、たまにスタジオで入る以外はあまり行かなくなってしまった。
青梅街道から早稲田通りをひたすらに走った。あのタバコやのある十字路に立てば、当時のあの世の中も自分の中でも先が全く見えない、あの感じが一瞬にしてフラッシュバックするだろう。
去年、ネットフリックスで配信された佐久間プロデューサーによる番組「Light House」は私の人生においてもかけがえのない作品になった。
その第一回目の場所が阿佐谷で、当時の見慣れた景色を二人が歩いていた。
そんな二人の阿佐谷、高円寺時代の心象風景で綴られた曲は「Orange」である。
去年、番組内で発表されてから何度も何度も聴いた。
まだまだorangeの夕方ど真ん中にいる私でさえも、お二人のリリックはガツンと胸というか、こめかみに響いた。
この曲を聴いて「こうしちゃおられん」と自分の環境を改める大きなきっかけにもなった曲なのだ。
「総武線に乗って水道橋」。
ドームでMC WAKAのこのリリックを生で、直接くらって私の頭じゃ処理できなかった思いは液体となり頬を滑った。
高校生の頃愛読していた「社会人大学人見知り学部卒業見込み」「蘇る変態」。
そこから紆余曲折ありながらもブレる事なく、ど真ん中を貫き通している。
まさにリアルヒップホップなおふたりなのだ。その姿勢をもって”遊び”を作っている。
それから「POP VIRUS」も本当にくそ良かった。
MC WAKAの今回のリリック。その内容はビーフというよりも、真っ直ぐなリアルであった。
だからこそ、響くし興奮がもう止まらない。
世の中の矯正されたリアルに見せかけたフェイクに飽き飽きしながらも、そのバランス感も重要なのかななんて思ってしまうこともあるが、全力でだせぇなと思ってもいいんだな、と拍手が巻き起こる本当にミラクルな時間でそう体内でストッと落ちるものがあった。
◯
2019年日本武道館ライブで観た漫才。ご本人はそれを超えるものはもうないとよく電波の上で話をしていたが、今回の漫才はもうすごかった。
かねてから何ににもならないバカで阿呆な結晶体、”無駄”と”ヒマ”によっていのちは眩く輝いた。
そして「たりないふたり」で観た身を削って、生命を張ってオチに結びついていく。
伝説という言葉があまりにもおつとめな言葉として伝わってしまうから、なんとも括れないが圧倒的に面白いものが観れた。
4時間以上に及ぶお祭りもあっという間に終わってしまい、明るくなった会場にデラックスとそれぞれに感動を噛み締めながら、ひとりの状態から戻ってくる。
一宮から武道館、そしてドームまで共に行けて良かったな、なんて話をしながら会場を出る。
そして、また改めて展示も行こうと「じゃあまたね」とすぐ解散になった。これぞプロの友人である。彼は喫煙所へと颯爽と消えていった。
彼もまた何かをキャッチしていた。
まっすぐにひとり通しになることによって届いたり、繋がるものがある。
そして、とことん遊べる時空が生まれる。
貫くというよりも、ただつづけたという言葉の方が近いかもしれない。
愚直にど真ん中をつづけることによって、生まれた伝説級の瞬間の連続、それが私の観た東京ドームライブであった。
最高のライブを、本当にありがとうございました。
過去の点と点。それらが繋がり、結ばれた直線ほど強くておもしろく、かけがえのないものはないのだ。
そう、ドームに屹立する太陽の塔は私にニヤついた。