昨夜、ライブの帰りにラーメンへみんなで行った時に鍵盤の小田くんから「とべるお兄ちゃんってなに?」と聞かれた。
なぜそれを知っている…!?
そう、何を隠そう私は一部界隈(尾張小牧)のキッズから、とべるお兄ちゃん」と呼ばれているのだ。
○
小田くんが、母校である中学でなんと講演をしたそうだ。それだけでも何だそれ!とどうにも面白いのだが、その当日担当をしてくれた女の子がいたそうだ。
小田くんがピアノやってるの?と聞いてみるとその女の子は「はい」
「やっちゃん先生っていう人に習っています」と。
そしてすかさず小田くんは「え、もしかして○○音楽教室!?」と聞くと女の子はイエスと答えたそうだ。
そうなんです、その教室とは実家のことであり、やっちゃん先生とはまさに私の母、通称コズミックガールのことなのである。(コズミックガールについては過去の日記で)
こんなビンゴを起こす日常はやはり面白くて、どっか変。
そして、小田くんが「そこの長男とバンドをやってるよ〜」と話すと女の子は言ったそうだ──
とべるお兄ちゃん!!
「とべるお兄ちゃん!?」。小田くんの心中を察しますよ。
そうだよね、流石にわかるぜその驚きは。
まさか同じバンドメンバーに「とべるお兄ちゃん」という側面持ち合わせている人間がいるとは想像できなかった、というか考えても何のことかわからないだろう。
「とべるお兄ちゃん」とは一体なんなのか。それはすぐに紐解かねばと、岐阜タンメンを啜りながら当時の話をした。
○
私がまだ実家に住んでいた4、5年前。
リビングの隣の部屋で音楽教室は開かれており、自分の部屋にいてもピアノ、エレクトーンの音が鳴っているのは日常のことであった。
今思えば控えろよと当時の自分に言いたいのだが、帰宅するとレッスン中だというのに「今日のごはんなに?」と聞く悪き日課があった。
お菓子を買って帰るので、その献立によってどのように食べようか順序を考えるためである。
生徒さんからしたら謎だっただろう。
玄関でドアを閉める音が鳴り、ドタバタと音が聞こえ、レッスン部屋のドアがバタっと開かれ「今日のご飯何?」と。
いつも見る謎のお兄ちゃんが先生に夕食の献立を聞き「生姜焼き」と先生が答えると「お〜〜」とぽつねんと残し去っていく。
というか、ピアノの先生が一瞬「誰かの母」になる瞬間も怖かったであろう。
私もレッスンのその瞬間の前後は知らないため、もしかしていたら「生姜焼き」と答えるその前に叱られていた可能性もあるのだ。
あんなに怒っていた人が「生姜焼き」と言った──。
「宿題なんでやってないの?やらないとダメでしょ」ーガチャ「今日のご飯なに?」ー「生姜焼き」ー「おおぉ〜」ガチャー。
母よ、すまんことをした。
話がずれてしまった。こんな時に役に立つ○くん、召喚!
○
レッスン部屋開き母親に問う中で、なにやら不思議そうにこっちを見ている5〜8歳ほどの姉妹がいる。
母が私を紹介すると二人はとても興味を示している目でこっちを伺っている。
私には以下のような方程式がある。
興味を示した目をしているキッズ二人=めちゃくちゃにふざけられる瞬間。
そう、思うがままにふざけられるのだ!!
「おれ、実は空が飛べるんだよね」。
二人にそう言い放ってみると「え〜?」と恥ずかしそうにしている。
見てて。
ドアの手前でバレーで鍛えた跳躍力で高くジャンプし、頂点に達したタイミングでドアをバン!と閉める。そして数秒経ち、ドアをバン!と開けた瞬間に着地する。
そしたら──
姉妹「すごーーーーーーーい!!!!!!!!!!!」
うそ!?!?!?えーーーーー!?!?と盛り上がっていた。
え、私、改革後のモンスターズインクで働けるんじゃないか。
もう、気持ちが良いほどに二人は盛り上がり、それから私は「とべるお兄ちゃん」と呼ばれるようになり「もう一回!」と言われてもHPを多く使うから連続でできないのよ…とディティールまで詰めてストイックにその名に恥じぬよう活動してきた。
その時の少女が、たまたま小田くんの担当となったというのだ。
なんというぐうぜん。
ちなみに、当時「あ!とべるお兄ちゃんだ!?」と帰宅する姿に指をさし、それが私でなく弟であった時は「あぁ…、とべないお兄ちゃんか…」とがっかりされていたという。
弟よ、巡り巡るほど大したことのない風評被害を申し訳ない。
○
実家のこども部屋にて、かつての黒歴史をうぅ…と開き読んでいたら「ちょっと来て」と母がやってきた。
レッスン部屋に招かれると、かの少女二人が…!!
大人になっている……!!!!!
そして、もう…ふざけられない………。
感動と儚さと嬉しさが込み上げた。
いや〜、でも流石にふざけられないな。
小牧に戻ると、毎回世の中が灰色。
現実じゃないような、何か非現実的なような。
そうだ、なんか自分が幽霊みたいな感覚がする。
町が装いを変えても、その影響が自分にダイレクトには及ばない、残念なことに部外者なのだ。
懐かしむことしかもうできないのか──そう思った時に一つ目標がぽつんと生まれた。
またどこまでも青い眺めを見たい思うものなのだ。