寒さによってオートで肩が凝りまくる今日この頃。
21時になり、おじちゃんの先輩の上がる時間だ。
支度を済ませたおじちゃんの先輩に諸々作業を進める私。
そんなタイミングで「お疲れぇ〜〜」とおじちゃん先輩がふざけて低い声で一言言った。それに対して私は反射で「劇場版」と返してみた。
間違えた・・・・・。
すれ違い様にニヤッとはしてたけど、反応するまでに少しラグがあった。
先輩が帰ってからも、その最適解をずっとぐるぐると考える。
○
おじちゃんのおふざけには、言葉数は少なくて一言でスッと返せるのが一番小粋であろう。
私はお笑い芸人ではないので、そのお笑いの追求はできないが、将来小粋な爺さんになりたいという夢はある。
それを叶えるには、一言でボソッとちゃんと打ち返せる反射神経と妄想力が必要なのだ。
○
「劇場版」だけだと、流石に少し飛躍があったか。
「挨拶の劇場版」?ん〜、それはそれで違う。
ならいっそ「ターミネーター」と呟いた方が「アイルビーバック」なんておじちゃんも返してくれたのだろうか。
そんなことをずっと考えてはぐるぐるぐるぐるする。
文面に起こしてみるととてつもなく面白くないやりとりだが、実際にその場を第三者が見てもきっと面白くはないだろう。
しかし、それで良いのだ。キャッチボールが気持ち良ければ、それで良いのである。
ならいっそう、良い球を投げたいじゃないか。ということだ。
○
死んだ爺ちゃんは所謂「町の変わり者」であった。
人からは歩く百科事典と言われるほど歴史や色んなことに対して本当に詳しい人であり、それも含めて難しそうな頑固な爺ちゃんであった。
しかし、その爺ちゃんは死ぬまで私のことを「土屋くん」と呼び続けた。
土屋の近い祖先である爺ちゃんから「土屋くん」と呼ばれるのである。
これはふざけて言っているのか、それとも本気で言ってるのか、その答えは未だにわからないままだ。
しかも、その変な呼び方は私にだけに留まらず、妹は「土屋さん」、そして弟は「キミ」。
いや、「くん」と「さん」が切れたら「キミ」になるんかい。
小学生の頃の私はそうずっと心の中で思っていた。
しかし、大学生になってもなぜかそれが冗談だったのかの確認はできずに爺ちゃんは死んでしまった。
聞けなかった理由はただ一つ。それをやってしまったら野暮であるからだ。
○
誰も居なくなった爺ちゃんの部屋には本棚から溢れる量の本たちだけが残っていた。
それを色々ディグってみると、本棚の奥の方に目が引かれる背表紙が見えた。
「家族とは」
失礼な話だが、家族という定義に対して本を漁り思考するような人とは思っていなかった。私は驚いたのだ。
その時にあの「土屋くん」呼びは照れの混じった冗談だったんだなと気づいた。
いや、孫くらい名前で呼んであげなさいよ、なんて思うけど、私も爺さんになったら素直にそれができるかは自信がない。
孫が「どういうこと?」と困惑している姿を見て、一人ニヤニヤするだろう。嫌な爺のハイ出来上がりだ。
○
その本棚の中に九鬼周造という哲学者の『「いき」の構造』という本があった。
本を開くと、当時の新聞の切り抜きがあり、確かその本の編集の人に関する文章があり自分と近いヲタクの匂いを感じた。逆か。
あんな仏頂面な爺ちゃんも「いき」に対して本を読み考えていたと思うとキュートに感じてしまう。
しかしながらこの本が本当に面白かった。
詳しく言えば、その九鬼さんの本を学者?二人が対談で読み進めるという、内容が少し噛み砕かれた本であった。
「いき」とは、色気(媚び)、意気地、諦めの言わばトライフォース。
その中の「諦め」が大学生の当時刺さりまくった記憶がある。
「いき」とは垢抜けるという意味もあるようでそれに「諦め」は重要であると。
丁度バンドを作りたいなと思っていた時期にそれを読み、良くも悪くも私の薔薇色の学園ライフは早々に終焉を迎えた。
大学を楽しむための友達作りの努力はやめて、音楽とゲームに体力を振りまくったのだ。
結果的に、本当に良くも悪くも大学卒業のころには世捨て人一歩手前まで来てしまった。まずい、そう自覚できたのは上京してからのまた別の話だ。
とにかく、爺ちゃんの残した本は、その遺伝子を引いている私にとっても響くものが多かった。
○
バイト先のおじちゃん先輩とのやりとりに求める「いき」はその三代要素の中で何が一番光っているのだろうと考えた。
色気(媚び)・・・・・!?!?
「いき」を追求するバイト中のB-サイドナイト。