こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

髪と自意識(02.14)

朝の6時ごろ、愛知は尾張小牧にある実家に到着した。

翌日の「MURABANKU。進化ツアー名古屋篇」のため前乗りしたのだ。

 


ライブがある時にしか帰省しないということを続けている。

公務員にさせるべく教育をされてきたというのに、このありさまである。

 


 


就活をするフリをして、何もないのにスーツで外に出ては本屋で立ち読みしていたあの頃。

「面接なのに靴、スニーカーで行ってない?」という何かを察した母親からのラインに

「今日はカジュアルなところだから大丈夫〜」という安易な返信によって全てが露呈したあの頃。

 


ちゃぶ台をひっくり返すように上京した身で、年末年始に帰省して一丁前に一家団欒できるほど能天気ではない。滑稽が過ぎるであろう。

 


朝6時に帰り、キッチンを見てみると母親がカレーを作ってくれていた。

それを大盛りにして、妹が撮り溜めてくれた録画を観ながら一丁前に過ごしていると、順番に家族が起きてきた。

リビングで録画を観ながらカレーを食べる姿は何よりも滑稽であっただろう。

母親のカレーと録画の相性はもう最高であった。

 


 


昼になり、母親妹とランチへ行った。

帰省すると毎度改めて自分は山の麓の寺町と喫茶文化の中で育ったんだなと思い出す。

子供部屋から小牧のお城が見えるのである。

 


いつも行く喫茶はいつからかカフェとなった。小牧にあった喫茶もどんどんと無くなってしまっている。

跡を継ぐ人が居ないのだろう。スタバとは縁が遠かったこの町に2店舗もできていた。

もう、知らない世界線だ。ランチを済ませて、よそものの感覚で一人散歩した。

 


そして、予約の時間が近づいてきた。

中学生〜大学卒業までずっと髪を切ってもらった床屋に久々に行くのである。

 


 


ガチャン〜と扉を開けるとカラカラと備え付けのベルが鳴った。

「ちょっとお待ちくださいね〜」と席に腰を下ろした。

 


さすがにもう私のことは覚えていないか。ならばどのようなスタンスでいこうか。

そう考えていると名前が呼ばれ、荷物を預けて鏡の前に案内された。

 


腰を下ろして、顔を上げると「いつもの感じで良い?」と。

 

 

 

 


粋な姉さん!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 


そして、私はすかさず「あ、センターパートでお願いできますか?」とお願いした。

すると「前髪下ろしてた子が次々と分けていくわぁ」と話されており「そうせざるを得ない空気があるんすかねえ〜」なんて会話が始まった。

 


 


見た目というものに本当に興味がない。見た目を整えて他者より「良い」と思われたい欲がビタ一文とない。

なぜなら、中が良くないからである。

 


当時、第一ボタンを開けることもしなかった。

「反抗」という動機で第一ボタンを開けるなんて、なんて純粋で良い人なんだ。

その上、学校の模試はちゃんと受けてちゃんと結果も出す。

記号的に収まることによる「安心」だったのだろうか。

それを注意する体育会系の先生も叱りながらも結果一蓮托生していく。

 


まじでなんなんだ!?!?

 


本当の「反抗」って何なんだろうと考えた結果、私は第一ボタンを締め続けてバレないようにワルをすることだと閃いた。

 


どんなワルをするかって?それは──

 


①模試の最中お腹が痛いと教室を抜け出す

②誰にもバレないように全校の男子トイレを巡る

③そして、全てのトイレ大のレバーを捻り「ジャボ〜〜」とさせる

 


馬に鹿と書いてバカであろう。しかし、そのスリルは半端じゃなかった。

扉の開いている教室の廊下を渡る時の緊張感たるや。

おれこそがソリッドスネークやぁ!!なんて思い、回りきったら教室に戻り可もなく不可もない土屋くんに戻る。

 


どこに向けた、何だったのだろうか。

 


もはや怖い話である。しかし、髪を切られるなかで「校舎がどんどん新しくなっている」なんて話を聞くと、忘れていた当時のことを次々に思い出してしまった。

 


わかりやすく反抗して、わかりやすく身を整えて、わかりやすくコミニュケーションを取ると「モテる」。

でしょうね!?!?と反射的に思ってしまう、それは’不謹慎’なのだろうか。

当時の私は絶対的なひとつにこだわり、全てを見過ごしていた。

 


 


ご夫婦で営まれている床屋で、息子さんも小学生になっていた。

近況を話したり、たまに土屋を知る人がお店に来て話題になるなんて話を聞いて驚いた。

こんな感じでどう?と開かれた背後の鏡を見ると、まさにセンターパートになった自分が映っていた。

 


このお店であの数年間「おまかせで」としか言ってこなかった自分が「あ、センターパートでぇ」と注文する未来が来るなんて、第一ボタン閉めっぱなしの私に考えられただろうか。

 


髪型を注文するなんて、わかりやすく変化を求めている人だ。

「ふぅ〜ん。そっかぁ〜。変化したいんだねえ〜」と思われる空気感に居ても立っても居られない。だから「おまかせで」を貫き通してきた。

しかし、その時に比べると自分の中の自意識がガツンと減ったのだろう。

 


そりゃそうだ。こう!と思っていることはちゃんと伝えなければ、目の前の人に伝わらないのである。

そして、それは手段としてわかりやすいほどがそりゃ通じやすい。

つまりは、ものづくりは己を開示しないと理想とするモノは生まれないのである。

 

 

 

って、当たり前じゃん!!!!!!という突っ込みはちゃんと自分で落とし前をつけたいと思う。

当時は、曲を作ってもその動機はメンバーにすら話せず、ライブでは曲紹介もできず口上を立ててやったほどだ。

数日前に書いた高校生がカッコよかったので、分かりやすく真似ることのしたのである。

 


床屋の姉さんと兄さんとは結局「ゆるキャン」のアニメの話題で盛り上がった。

気を遣わせてしまうかな?と渡すのを躊躇していたCDも、ジャケがゆるキャン聖地巡礼をして見つけた本栖湖で撮影したため、話の流れでお渡しできた。

するとお姉さんが「チェックしま〜す」と言うもんだから、あ!ヲタク口調!!と言ってみると二人とも笑ってくれて、またいつかとお別れをした。

 


店を出て、中高の登下校の道に出るとズコーーっと小牧山ごとひっくり返った。

結局真ん中分けちゃうんですかァァァァァァァと銀魂突っ込みする小牧山に敬礼して帰った。

 


家に到着すると、妹からは好評で母からは前の方が良かったと早速賛否が分かれた。

あぁ、やっぱどっちでも良い。まあ、とにかく明日のライブに来てくれ。

 


私は多くの人の前後を見届ける美容師、床屋に圧倒的なリスペクトがある。