こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

深夜を抜けて宇田川町(02.09〜02.13)

ひっくり返って“あたりまえ”は生まれる。

 

去年の夏からこの春に向けて、自分の中に幼い頃からずっと存在する”純粋に興奮する”ものを考え続けてきた。


そのなかで2つはっきりするものが見えた。それをもっと感覚的に形にしてみるという作業を夜中にこそこそやってきた。

 

 

渋谷喫茶スマイルにて“The ○○ show”と題して、半シークレットライブを行った。
ありがたいことに多くの人が入り、立ち見も生まれた。感謝である。

 

初ライブという感覚が久しぶりで’新鮮’という言葉が近いのか’わからない’という言葉が近いのか、初めて聴いてもらう音楽が多く、どのように受け止められるか心配であり楽しみであった。

 

なぜ、受け入れられるか心配だったかというと、完全にアウトローな感覚で作ったものが多かったからだ。歩み寄る気持ちよりも、学校に馴染めなかったり、世の中に対する退屈さなどをギュッと固めたような。


そこを軸に夜から朝の6時になるまで、バンドのみんなとあーでもないこーでもないとノイローゼコンテンツが一番笑える状態までさしかかり、曲たちは仕上がっていった。

 

ライブは盛り上がった。しかし、省みるポイントが多く内心「あぁぁぁ」と思いながら楽しめた感覚はすぐに待てなかった。

 

そんななか来てくれた人の感想を色々聞いてみると、それぞれに色んな受け取り方があり嬉しかった。なかには不思議とちゃんと”人の曲”となっていたのだ。

 

難しい話なのだが、制作物において自分のたりなさを絞ってつくるくせに、自分のモノにはしたくないのだ。

欲しいのは、満足よりも衝撃や興奮なのである。

 

あぶね〜〜なんて思っているととある曲に対して「かわいい曲だった」と言ってもらえた。


ガッツポーズであった。意味不明なのに「かわいく」思える。
それこそが自分の好きなポップの概念なのである。多くの課題が帰りの肩を重くする中、一筋の光をちゃんと握れて良かった。

 

リアルヒップホップの精神でひっくり返すのである。

 

 

西荻窪に下北沢。スタジオを出ると世の中は朝になっている。


集まった人たちの持っている「イカしてる」「クールだ」という記憶の痕跡による美学によって曲がみるみる進化していく。


ライブの翌日、行けるメンバーにより早速反省会が生まれた。

東急から奥渋谷に繋がる一本道。そこに屹立するベローチェ


上京して、自分の好きという気持ちひとつだけを持ち流れに身を任せて流れ着いた宇田川町。
少しの間、その土地を離れていたが音楽の活動でまた偶然ここに戻ってきた。

 

時間が来てしまいお店を出て、近くに駐車場にてヤンキー座り作戦会議をした。
平熱の中に情熱をコソッと持っている人が私は好きで信頼をしてしまう。
真っ暗な駐車場で行われたその会議に、私はワクワクしていた。

 

どんな半年後に抜けられるか全くわからないが、私は圧倒的にたりない一人である。