こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

箱庭作り〜破壊試験(02.24~27)

02.24「箱庭作り」

 


昼から夕方にかけて、バンドのみんなで集まりとある箱庭を組み立てた。

方舟ではなく、箱庭である。

Bダッシュができるようになるにはまだしばらく時間はかかるだろうが、そこに昇る陽が少し見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

02.25「できもの」

 


昨夜、チェと帰り道に二郎系のラーメンを食べた。

 


また寒さという全身をさすスキルを取り戻した風に打ちつけられながらも、店内へ歩き食った二郎はもう美味すぎた。

もうニンニクマシマシですよ。

腹いっぱいになり、外の寒さが恋しくなり通りに出た瞬間にニキビが生まれた。

 


いや、早すぎやしないか。

 


 


さすがに、この瞬間生まれたというわけではないだろう。

しかし、ライブもしばらくないしまあいっかと過ごした。

しかし、できてはすぐ消え、またすぐにできる。

 


どうしたもんかいのう。

 


心当たりを探った。

あ、そうだグラノーラの食い過ぎた。

 


 


みなさん、無性にグラノーラを食べたくなる時がないでしょうか。

私には、ある。

そして、その日に丼3杯くらい食ってしまった。

腹ぶっ壊れの助である。

 


しばらくニキビができていなかったのに。

生活時間が少し日中に戻ったことも影響しているのだろうか。

 


〜THE原因・食生活〜であろう。

まずは身体の中からである。

ま、身体の中を整えても曲が勝手に完成することはないのだけども。

なんて言って制作メインでこの永遠ニキビループにいるのはよくない。

 


そんな日曜日も、あるよね。

 

 

 

 

 

 

02.26「ディズニーとエキゾ」

 


あなたのエキゾはどこから?

私はディズニーである。

 


保育園の頃に一番Dをたを極めた私は当時先生からディズニー博士と呼ばれていた。

そう、博識なのである⭐︎

 


 


アトラクションよりも街づくりや装飾などアイテムに興味が行きがちで、すでにヲタクの高まりを求めるアンテナの信号に全身を司られていた。

よって、どこに何があるのか久しぶりに行くパークも自然とわかる。

 


そんな本日、チェと二人でディズニーランドへ行った。

3時間だけのフィールドワークを決行したのだ。

 


 


久しぶりにトゥーンタウンにあるミッキーの家こと「ミートミッキー」に並んだ。

ミッキーの家を訪れ、最後にはご本人がいて、スタジオの撮影の間で写真を撮ってくれるのだ。

 


保育園の頃ぶりと考えるともう何年経ったのだろうか・・・。

当時、同行する父親がカメラを回してくれてそれをVHSにしてくれた。

それを永遠に見る毎日を送っていたのだが、その映像ぶりのミッキーの家である。

当時の記憶なのか、誇張した妄想なのか。一歩先の展開へと不思議な感覚で誘われた。

 


 


タイミングでミッキーの衣装は異なるのだが、魔法使いの弟子のミッキーと会えたらなあと懇願していたら、まさかの扉の向こうにいたミッキーは・・・!

 


握手をして、何か魔法使いのポーズを教えてほしいと伝えると、両手を上げて指先を外側に向けるのだと教えてくれた。

 


「ハイポーズ」

 


帰り際に「往年のファンです」と伝えるとミッキーは喜んでくれた。

そしてそれ以上についてくれたキャストのねえさんがびっくりして喜んでくれた。

いまだにディズニープラスで昔のアニメーションを観てますよ。

 


私の次のチェがソワソワとしている。

その姿を見届けようとしていると「あ、先に出てください〜」と。

わかりました、と部屋を抜ける瞬間にミッキーにドレッドヘアーをめちゃきちゃにいじられてるチェが一瞬見えた。

 


!?

 


出た廊下で少し待つと、出口ギリギリまで挨拶されているチェが見えた。

 


!?

 

 

 

 


チェのスマホで撮ってもらったため、写真を観てみると、それぞれハイポーズの前後の瞬間まで写真を撮ってくれていた。

これを我々は「いけショット」と呼んでいる。

 


よくライブの企画をしてくれるいけさんの撮ってくれる集合写真は、そのポーズを決める前後まで残してくれ、よりそれぞれの素の部分を収めてくれる。

とてもいいショットがあるのだ。そして、いけさんはどこにでも現れる。

 


ここにもいけさんはいたかとパークを出て、ココ壱を食べた。

ココ壱、やっぱめっちゃ美味しですぜ。

 

 

 

 

 

 

02.27「破壊試験」

 


財布が翳りセブンのフードコーナーで諸々の作業を進める。

そんな時のバッグは読みたい本が10冊以上入っている

しかし、諸々はなかなかスムーズにいかないものだ。

結局1ページも読めずにただ肩にえげつない重力だけを抱え泣いて帰るのが常だ。しかし、今日はいろいろ読もう。

 


 


小石遥也著の「破壊試験」。

 


たびたびこの日記にも現れる椅子を作っている小石くん。

彼にはまた別の顔があり、この作品は彼の自由律俳句集である。

そして、この本はまだ世の中では1冊?2冊しか存在しない。

先日よかったら読んでくれと手渡ししてくれたのだ。

これはちゃんと腰を据えて読みたい。そうタイミングをずっと見計らってきた。

ついにその時がきたのだ。

 


夜 の 黒 の 葉 か 虫 か

この直線状に現れる者を知ってゐる

 


この2句がとてもグッときた。

またいろんな人に届くその将来で、また自分なりの感想を述べたいと思う。

とにかく、彼の選ぶ言葉はとてもチャーミングでありひとりだ。

 


 


いつもどこに投稿するわけでもない、自作曲を作っては彼に聴いてもらっていたりする。

それももう何年もだ。そろそろ自作曲集を私も作るぞと思えど、周辺のやることたちによってなかなか優先させることが難しくなっている。

 


しかし、この破壊試験を読んで、自分自身が破壊しなければいけない所在を見つけた。

言葉を少し借りるならまさに破壊試験。そして、成仏試練でもあるのだ。

 


どこまでもキャッチボールできる、そんな作品がやっぱり好きだ。

INFP×(過去+未来) (02.23)

無数に並ぶタレからいつもの如くポン酢を選び、もみじおろしを鬼入れする。

それぞれが遅刻してちょうど良い集合時間となった夕方のしゃぶ葉は学校帰りの学生で賑わっていた。


スミマセンスミマセン、ドウゾドウゾと通りに道が生まれるのを待ち席に戻ると二人がなにやら盛り上がっていた。

そう、本日はワンシーズンに一度くらいで開催される前のバイト先の仲間の二人と食べ放題に狂乱する日であった。

 


 


「ちかとさんってなにタイプですかね??」


Eっぽい、Sっぽいなどと目の前に置かれるアルファベット。

出されたそれらをひっくり返したものが私の”タイプ”であった。


隠しているわけでもないがわかる人には「あぁ、バレないように日々やりくりしてるんだねぇ〜〜ふぅ〜〜ん」と見透かされるのが怖く、日々をやりくりをしているのだが、それを全部ひっくり返してみなさいと言うと二人は顔を見合わせた。

 


「私たちもです」

 


吉祥寺にて同じ鍋を突っつくINFP×3人。

この構図は何かの風刺画とも取られるんじゃないかと思わず爆笑してしまった。

 


 


みなさん、16タイプ(MBTI)はご存知だろうか。

よくあるネットでできる性格診断モノなのだが、当たってる外れているという占いのそれとも違う。

個人が世界をどのように捉えており、物事においてどのような判断基準を持っているかが心理学の視点により示される診断だ。


その結果も信じるかどうかではなく、ふ〜〜ん、確かに〜〜〜、そういうことか〜〜〜とカジュアルに自己分析する手段だと思っている。


初めてやった2年前はまた別の結果が出た。

しかし、その結果が「いや、こいつ絶対に不審なやつだろう!!」とフェイクで塗りたくられた己の奥側にあるピュアを取り出すというモードに入った。

つまりは擬態を外していく試練だ。

(その時に生まれた曲がソロでやっている「五畳半漂流記」だったりする)

 

結果、ここ数年たまにやると毎回同じタイプに落ち着くようになった。

それが仲介者といわれるINFP-Tである。

そして、検索欄に打ち込むと次に出る言葉が「やばい」「不思議ちゃん」「日本 合わない」である。

 

 

 

やばい!?!?!?

不思議ちゃん!?!?!?

日本 スペース 合わない!?!?!?

 

 

 

突如として日本の合わないやばい不思議ちゃんらの胃袋に100%の確率で収められる運命を背負わされた春菊らは阿鼻叫喚していたであろう。

そんな立ちのぼる湯気越しに圧倒的に詳しくなってしまったというT子が詳細を話してくれた。

 


 


基本、頭がお花畑であり、その上に生きづらさを抱えているからたちが悪いと。

わかる〜〜〜。


中学生の頃、今日こそはフルでしっかりと日本史の授業を聞くぞ!!と臨むが、便覧に乗る武将たちを見て「同じ美容師がきってんのかなあ」とか「この先生、何円払って髪切ってんだろうなあ」とか「家帰ったら、顔色も変わるのかな?」と思っているとキーンコーンカーンコーンと鐘が鳴り礼をする日々であった。


そんな話をすると藪の中よろしく、二人の視点の話も共鳴となんだそれという面白さがあった。

勝手にイメージを膨らまして、気付いたら周りに誰もいない。THE不思議ちゃんじゃねえか。

 


 


愛知の学生の頃映画館でバイトしており、当時20そこそこであったにも関わらず、よく26歳と思われることが多かった。

話が合う人がいなくて、もう諦めるしかなかったのだ。

そこで”擬態”という世を渡る術を手に入れた。


しかし、上京してからはよく学生に年下扱いされることが突然多くなった。

明らかに年下の人に初対面で「どう?就活始まった?」と突然声をかけられ、これはもう学生を演じるしかないなと「これからです」と答えると肩にポンと手を置かれ「就活すれば人間、自信着くから」と言われたしまいだ。


やばい、ピュアを持った結果”自信のないばか”になってしまった。

いや、戻ってしまったと言った方が良いか。この話をすると二人はすごく笑ってくれた。

さすが、似た痕跡のある者よ。

 


 


確かに、この二人に関わらず「なんか合うなあ」という人とは、無意識に言葉ではない完全なイメージや妄想だけで話ができたりする。


不思議と伝わるのだ。だからこそ、人生どうしようか・・・という話題にも、あまり個人の話になりすぎず、行間というか核の周りで核の話をしているような、不思議なコミニュケーションなのだ。


そうとは言ったもののMBTIがその全ての基準とも思っていない。

しかし、このMBTIは生まれ持ったものではなく、どんな環境でどのように成長してきたか、そして現在どんなことに取り組んでいるかで変化するものだ。


そして、ここからは個人の勝手な想像だが、なんか不思議とこの人合うなあという人は、その成長過程がまるで違ってたとしても、持っている脳の痕跡が似ているということだと思う。

つまりは16タイプの結果は、その人の持っている脳の痕跡と関連している気がするのだ。

 


 


T子が「自分というものが分からなくて、こういうものに没頭するということも特徴の一つかも」と言っていた。

その時に私がこの日記を載せていることの意味がわかった。

正体がまるで分からないのである。


高校生の頃の体育祭と文化祭の準備、大学の部活の合宿に、ゼミの飲み会。

まるで楽しさがわからないのに、楽しそうなことへは憧れがあるのだ。

だけど、気づけば一人の部屋を掘り進めている。

結局、その虚無に居心地の良さを感じるのだろうか。


電車も人の顔と姿勢と雰囲気が近すぎて、ドッと疲れてしまう。

「電車酔いじゃない?」そう言われた時にそうじゃねえよと思えど、それこそその弁は世の中においてノイズでしかないため「そうかも〜」とすぐ散る言葉を選んでしまう。

よって外部からは”不思議ちゃん”と括られるのであろう。


しかし、こうやって集まりそれぞれの視点によって語られる日常の細かい話を聞くことは本当に楽しい。

誰にも理解されない話こそエンターテイメントになり、時に想像のできない共鳴に繋がるのだ。


それは自分と近い人でも、少し遠い人でも。

周りには興味があまりなくても、人には興味があるのだろう。

それは自分の輪郭がハッキリとわからないからなのだろうか。

 


 


先週、愛知で同級生と久しぶりに会った時にも圧倒的に置いて行かれてる感覚がはっきりとした。

社会的な責任を彼らほど真っ当に背負っていない。

 


これはまずい・・・!!なんて話をすると二人は爆笑してくれた。

これまたさすが、似た脳の痕跡を持つ者よ。

 


人は遊び心を手放さないといけないタイミングがきっとやってくるが、我々はしっかりと握って行こうぜという話になった。

こんなにもはっきりとした言葉ではなかったが、そう受け取った。

 

これからもきっと不思議な日記がつづきます。

スリザーを観て虚無を突っつく(02.21)

昔に観たジェームズガン監督の”スリザー”を久しぶりに観た。

ガーディアンズオブギャラクシーで、私はあっという間にガン作品の虜となり、当時働いていた映画館の先輩からDVDを借りて観たことがあった。

 

寄生虫のような宇宙外生命体が地球に落ち、一人の体を司り徐々に侵略が始まるというグロ描写も多いSFホラー(?)作品である。

当時はうげ〜〜と直視できなかったのだが、今見るとあまりにもバカバカしく愛おしく、キュートに感じた。

とにかく愛とリスペクトと破壊衝動を持って作られたのだなあとジーンと来てしまった。

 

 

ガン監督の主人公の男はよく裏切られて結局救いのないままモンスターとなるか、ショッキングな出来事により大きな孤独を一人で背負い生きることになる。

辛すぎやしないか。究極の二択である。

しかし、その人生を最高にくだらなくバカバカしく描くガン監督は本当の地獄を味わっているのだろう。

 

プラスなんてそもそもないんだよ、君の持っているマイナスの中にある”絶対”で突破口を作るしかないんだよ。

そんなメッセージを究極レベルで勝手にそう受け取っている。

しかし、本当にそうだなと思う。

 

この日記でもよく「自己肯定感」という言葉を怪しいと睨んでいるが、自己肯定感を高めることは虚無をより深めることだと私は思っている。

それより、目の前にある虚無本体にこそヒントが眠っており、その正体を明かすことが突破できる糸口を見つけられることだと信じている。

結局、何に催眠をかけて突破するかなのだろう。

 

 

ガン監督の映画はどれも冒頭で、主人公に何かが宿る。

それはもしかしたら大きな催眠=妄想とも取れるだろう。

だからこそ、物語は大きく動き自然と変化が生まれる。

そして、モンスターになるか、圧倒的な孤独と日々を過ごすことになるか。

 

辛すぎぃぃ!!!!!!!!!!

 

 

それから”フィールドオブドリームス”も観た。これがまた面白かった。

この映画もまさに”幻聴”から始まる映画であった。

生活の中で突然誰かの声を得る。そして、周りからは狐憑きだと思われながらも、全身全霊で取り組むことにより、その幻を世の中へ見事に結びつけた。

目の前の虚無から取り出した答えが、亡き父とのキャッチボールであったのだ。

 

雨が続く日々の中、じっと部屋で過ごしていた。

なんか気が重いなあ、と部屋に充満する虚無に正体を明かさせろとツンと突いてみると「爆弾低気圧」という5文字が浮かんだ。

ヒントになるもん、ねぇえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

結局、作りたいものは出来ず、寝た。

背にある虚無は明日やろう、明日やろう。

ポケモンと嫉妬(02.20)

ポケットモンスター バイオレットのDLC含めやっとクリアした。

全クリではないが、ひとまず番外編を含んだストーリーを全部やり終えた。

 

ポケモンにおいてはもうエンジョイ勢になってしまった。

レートと言われるランクをあげるガチ勢からは離脱したのだ。

 

今はポケモンをただ愛でたり、ストーリーにさらなる妄想を膨らまし、脳内でアニメ化しながらゆっくりと進めるという、それはそれで偏った愛によってプレイしてきた。

(主人公の細かい性格やバッググラウンド、そしてその仲間たちの関係性を細かく描写する)

 

しかし、DLCに限っては今までにないほどにかなりストーリーがしっかりあり、そこは余分なものはあまりつけずに純粋にプレイした。

それはかなり重めなストーリーであった。

 

訪れた島に交換留学へ行く、そしてその地で友人ができて、結局その友人の信じてきた美学とポケモンをプレイヤーである私が奪ってしまうのである。

これはその友人である男の子の視点から見れば、圧倒的に私が加害者なのだ。

しかし、そのポケモン、そしてゲームにおける定めとしてはその未来が絶対なのである。

 

 

このDLCのストーリーを介して、自分の価値観や美学をまざまざと見させられるようでもあった。

それは愛知に帰省した時にも少し感じたことでもあった。

人が”勝利”に求めることとは一体なんなのだろうか。

 

ちょっと前に、徒競走での勝ち負けを比べることはやめ、みんなで手を繋いでゴールしよう!という動きにゾワっとした。

10年後に絶望的な思いをするぞ・・・!と。

 

勝ち負けがあまり良くないんじゃないか?という風潮が高まるにつれて、私自身は遺伝子的に勝負が好きなのではないかと気付かされる場面があった。

高校の頃、勉強においては全く気持ちがなかったので主戦場には立っていなかったが、体力測定に関しては自分の持っているものを発揮しようと励んだ。

 

体力測定であるボーダーに達するとメダルがもらえた。

教室でそのボーダーを超えた人が一人ずつ呼ばれ、教壇で受け取る。

番号順に呼ばれ、教壇に上がる同級生の捲った袖から覗く筋肉ははそれに見合うものがあった。

 

そして「土屋」と私が呼ばれた瞬間、前のSくんが「え!?」と声を上げた。運動に自信のあったSくんは呼ばれなかったのだ。

そんな中、ヒョロヒョロかつ能面顔のふさわしくないと見られる私が呼ばれたのである。

メダルを獲得しよっしゃ〜と、席へ戻るときに「なんで土屋がっ!?」と少し怒っていた。

その時の私の感情はというと─━

 

ざまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!

 

であった。それはもう心の底からそう思った。

相当嫌なやつであろう。その時に自分の中に眠る加虐心と初めて目が合った。

コイツと共にしたら人生終わるなとも気づき、極力会わないようにした。

 

しかし、大学に上がり、人は人を介すことでしか発散できないストレスというものが確実にあることを知った。

大学の同級生内も、他の友人の中でも、バイトの中でも、家族の中でも。

それは非常に不毛であり”何か作る”ということに向いていないなと思った。

 

生きているだけで溜まってしまうストレスや怒りを人にぶつけるより、それで何かを作った方が糧になる。

そしてそれは最も平和であり、決定的な復習となるのだ。

 

実際、一番強く思ったことは、競争に興味がないと発言する人ほど、無自覚にマウントを取るきらいがあることだ。

その無自覚に感情的になってしまう自分がもしいたらと想像すると見ていられなく、人でマウントを取ることはやめようと決めた。

すると周りの人から「悩んでなさそう」と言われるようになり、やっぱり人が信じられる世界ってその範疇なのかと愕然とした。

 

 

そんなこともあり、私の生きているだけで生まれてしまう加虐性はゲームの中で発散、いや、それを活かし強いゲーマーな側面も掴み取ろうぜと没頭した。

ゲームの中では圧倒的な勝利への欲が出せるのだ。結局それほど刺激を感じられ気持ちの良いものはない。

 

しかし、今回のポケモンDLCでは、その信念すら作中の友人に大きな嫉妬を生む原因になってしまった。

一体おれはどうしたら良いのだ・・・。そう思いながらも思い思いの正義を貫き進めると、その友人は無事本来の自分の美学を取り戻し万事が解決した。

よかったよ、スグリくん。

 

あの時、ざまぁぁぁと思ってしまったSくんに当時できたことはあっただろうか。

「ちょっと、ポケモン・・・勝負しない?」とでも言えば笑ってくれただろうか。

嫉妬しかしていない側の人間が、たまたまそういう場に立ってしまった時、これほど難しいものはない。

結局、どちらにしろスッと席に座ることしかできなかっただろう。

そして、どちらにしろメダルだけはビカビカに光っている。喜ぼうぜ。

あんこ派(02.19)

愛知遠征が終わり、オードリーの東京ドームで魂が揺らぎ、帰宅後はスプラトゥーン3に励んだ。

ヒマなのか忙しいのか、トホホのホの字である。

深夜であったが、今回の”フェス”に参加するにはこの時間にやるしかなかった。

 

スプラには”フェス”という二ヶ月に一回ほどで開催されるイベントがある。

出されたお題に対して3つの選択肢から自分は何派か選び投票する。

その選んだチームで戦い、結果勝利したチームには特別なアイテムがもらえると言う最高のイベントなのだ。

 

今回のお題は”どれが好き?”。

あんこvsカスタードvsホイップという選択肢が並び「こしあん日記」の著である私はもちろん「あんこ」を選んだ。

私はあんこと共に生きてきた。

 

 

中高の朝ご飯は決まって小倉トーストであった。

ハチミツバターのトーストの日もあったが、祖母が作るあんこがまあ美味しく、日常として日々あんこを食していた。

 

こしあん」と言う存在を知った時には、もうこれ以上のものは無いのでは?と豆も引いてしまうほどに感動したことを覚えている。

つぶあんに慣れ、こしあんを選ぶようになった。

美味しいし、断面がとても綺麗なのだ。その黒色には嘘がない。

 

 

大学のいつものスプラ仲間がまだ起きており、共に戦った。

何かにおいて良いリアクションも取れぬ冷めた人間でも、戦いには光る奥底の何かがある。

今回においては万全の状態でフェスに臨みたく、無い財布を叩き実物のフェスTまで購入し臨んだ。

 

ドームでLTの装いを纏い、帰宅後は即フェスTに着替えた私はそう、パーリーピーポーである。

まごうことなきパーリーピーポー。しかし、こんなバランス感覚が局所的なパーリーピーポーの目は、万全とパーリーピーポーの目をしているのか。

 

結局、マックスまでゲージを溜めることはできず途中までで断念してしまった。

俺としたことが・・・と肩を落とし、起きたらもう夕方になっていた。

それから少し飯を食い、またすぐに寝た。

 

足りなかった睡眠時間を一気に確保したのだろうか。

罪悪感も感じることもなく無の状態で、ただ時間を過ごした。

こんなに何も考えず、脳がクリアというかただ砂嵐がなっているだけというか。

寝すぎると人は鈍感になれるのだろうか、寧ろ考える気力が起こらないのか。

これはまずい、気づいたら数ヶ月経っていたのパターンだ。

よし、と気合を入れ椅子に座りTVerの新着を確認した。鈍さにも程があるだろうよ、トホホのホ・・・。

 

 

あんこがただ好きでいたら、なんと「DJ WAGASHINOHI」というわがしのイベントよりオファーを頂けた。(なんとソロで・・・!)

そして、なんと当日ゲストはどら焼き食べ放題だと・・・・・!!!!!!

 

あんこのぎっしりとした黒に嘘はない。

そんなリアルヒップホップを貫くあんこに私はリスペクトしかありません。

3月9日に川口はセンキヤさんであるので、ぜひおいでいただきたい。

この日は「お菓子」縛りのセットリストを作って臨みたいと思います。

 

あんこ派の戦いはまだ始まったばかりだ!

それを作ればみんながやってくる(02.18)

オードリーの東京ドームライブを観に行った。

寝るのも起きるのも家を出るのも、すべてが緊張した。

絶対に何かが起こる。絶対に自分の中の何かが壊れて、何かが生まれる。

身体中を蝕む絶対的な”びびび”があった。

 


このライブにおいてはネタバレという概念がないので、未だに言語化できない感情と情景と感動と破壊を自分なりに書いてみたいと思う。

 


 


“それをつくれば みんながやってくる”

 


全席が満員となった東京ドームをこの視野に全部おさめられるスタンド席の2階。

かつての一宮、日本武道館ライブも共にしたデラックスと観に行った。

ギリギリで合流し、席につき近況報告をして周りに聴こえない声量でお互いの好きなトークで静かに盛り上がる。

 


オンタイムで会場が暗くなった。(もうこのオンタイムで始まったことに全てが詰まっていた。)

その瞬間に、私もデラックスもひとりになる。周りもどんどん、圧倒的なひとりになっていく。

 

 

 

「それを作れば 彼がやってくる」。

スクリーンに映し出された”フィールドオブドリームス“オマージュのオープニング映像。

ケヴィンコスナーよろしくとうもろこし畑を分けいる若林が映る。

「お、ドローンで撮ってるんだ」なんていう、ふいに生まれてしまうメタを全力で殺した。

まっすぐ"遊ぶ"ことにしたのだ。

 


 


オープニングから登場シーンまで、全てがもうカッコよかった。

本当に、バカ。そして心底くだらなく、本気でしょうがない。

それがもう、本当にカッコよくてどこかで得た脳の痕跡が光り、私は爆笑していた。

 


なにがこんなにカッコいいのか。それはきっと、若林はじめスタッフのみなさんの持っているリスナーへの信頼度だ。

熱と愛を持って聴いているリスナーへの信頼度が圧倒的に高かった。

 


世の中で「これ」と据え置かれているもの度外視で、自分達の中心点だけをやる。

それだけをやるという気概と、それを持っての共鳴があるはずだという若林の確信をステージから感じた。

 


その姿勢にグッとシビれた。

本当に世の中退屈なことばかりだ。そんなヘイトすらまさに無化してくれるような、バカでくだらなくしょうがねえライブが始まったのだ。

 


春日においては、日本武道館の時とは明らかに違うオーラを身に纏っていて、びっくりした。

ザ・ビッグトゥース。とにかくキレていた。

 


 


オープニングトークとそれぞれのフリートークが終わり、ショーパブ芸人が現れ思わず声が出てしまう。

隣の青年が「出た!」「○○だ!」と少しタイミングの早い歓声を挙げていたが、それもお祭り感を高めてくれ、こんなスピードで魂を消費することってあるっけ?と思うほどに笑った。

 


その後のコーナーたちは、本当にブッ飛んでいた。

意味不明。まじでイカれている。

しかし、その衝撃の振動がこの全身に伝わった時に言語化できない絶対的な何かが届く。

ガツンと届く。なんなんだこれは。

圧倒的ないのちの輝きがドーム全体に満ちていた。

 


 


陽キャ陰キャ

もうあまり聞かなくなってきたが、大学の頃よく多用されていた言葉だ。

私は比較的所謂”陰キャ“のカテゴリーに入るのだが、それはそれで居心地が悪かった。

 


自分は陰キャだ、アイツらは陽キャだと指をさす人たちに限って、群がって集団となってバーベキューをしていたり、旅行へ行っていたりしていた。

やってること同じじゃん、だっせぇ〜なんて思っていると、本当にひとりになっていた。

 


自分が無になるほど、全力で何かに打ち込んだり楽しんだり”遊ぶ“ことは恥ずかしいことなのだろうか。

"自分たちは陰キャだから"という免罪符ほどずるいものはない。

 


しかし、夢中になるには言い訳が必要な世の中になってしまっていることもあるだろう。

冷笑文化が巡り巡っていることが原因なのだろうか。

もちろん自分の中にもその「やってるなあ」という感覚があったが、その感覚すらだんだん退屈になってきてしまい離脱することにした。 

 


身の回りの人から「やってんなあって思ってそう」と言われることがたまにあるが、そうは思ってはいない。

しかし、そこにある別の感情は外に出しても共感されるものではないため、そっと隠すように過ごせば、もっとひとりを行くことになる。

 


そんな時に「朝井リョウ加藤千恵オールナイトニッポン0」にどハマりした。

朝井リョウトークを聴き「わかる〜」と共感し、加藤千恵のリアクションを聞いて「え、この感覚異常なんだ…!?」と自分の感覚という歪さを知った。

圧倒的ひとりにも寂しさというものは生まれるのだ。ここが唯一の自由に踊れる場所であった。

 


そのラジオ内でよくオードリーの話題が上がった。

オードリーのラジオを聴いていないとわからない話題、笑いがあったのだ。

 


いや、身内ネタばっか、知らんわ。という感覚よりその知識がない状態でいることの申し訳なさがあり、3、4年で10年分のオードリーのラジオを全部聴いた。

当時は当たり前の感覚でいたが、起きてラジオをつけて大学まで、授業が始まるまでずっと聴いて、業後また続きを再生して帰宅後もゼルダの”ブレスオブワイルド”を進めながらずっと聴いていた。

 


無理な便乗をやめた結果、もう当時の記憶がハイラルとラジオにしかない。

上京してインドカレーうまっ!と感動とした時に「大学生かよ」と突っ込まれた時にハッとした。

大学後半はもはや氷漬けのような期間であったのだ。

 


あのトークはバイト先の映画館の更衣室で聴いたな、あれは41号線のマックで聴いたな、あれはリビングへ飲み物を取りに行った時に聴いたな、と聴けばその時の風景が蘇る。

 


自分の日常は変わらないが、ジングルはつぎつぎに移り変わっていく。

ラジオ内の月日がついに自分の過ごしている時空に追いついた時の妙な儚さ。

 


すべては、そんな退屈な日々の中で全力で何かに没頭できる自分を持続させるためのものであったかもしれない。

 


 


せり上がったターンテーブルに若林が立つ。

クラッチなどを見事にキメて、さらに笑いを取る。なんてカッコいいんだ。

しかも、そこにちゃんとバーヒデやDJ KOOなどへのリスペクトも詰め込まれている。

まさしく、リアルヒップホップの姿勢を教えてくれたのは若林だ。

 


そして、とある一曲が流れ、その一音目で全細胞が反応し、フライングリアクションだけはなんとか抑えようとしていたのだが「あ、まじか」と反応してしまった。

星野源さんが現れる──。

 


イントロが通常の2倍の尺で流れた。

予感、いや脊髄の反射は本当に的中し、星野さんが登場した。

流れていたのは星野源 feat.MC WAKAの「Orange」。

 


 


2020年春、上京して翌日にコロナによる長い自粛が始まった。

全く知名度もなければやることもなかった。

家でゲームをやりこむ期間が始まり、少し緩和されベースの丸山君の自宅へ通う日々が続いた。

やることと言ってもポッドキャストの録音をするかアニメを見るかくらいなのだが。

 


そこがまさに阿佐谷であった。

練習スタジオも格安になっている高円寺を選び、高架下を自転車で走る日々が続いた。

楽しい事はほとんどなく、どこに続くか全くわからない道をただ走り続ける日々だけであった。

 


2020〜2022年頃までの期間は本当に濃厚な時間を過ごした。

いろんな場所で自分だけに関わらず理不尽な状況を目の当たりにしたり、自分の足りなさに絶望する日々が永遠に続いた。

しかし、そんな我々をも掬ってくれた阿佐谷の定食屋の温かさを忘れる事は金輪際ないだろう。

 

 

 

丸山くんが阿佐谷から引越して、たまにスタジオで入る以外はあまり行かなくなってしまった。

青梅街道から早稲田通りをひたすらに走った。あのタバコやのある十字路に立てば、当時のあの世の中も自分の中でも先が全く見えない、あの感じが一瞬にしてフラッシュバックするだろう。

 


去年、ネットフリックスで配信された佐久間プロデューサーによる番組「Light House」は私の人生においてもかけがえのない作品になった。

オードリー若林正恭星野源によるトーク番組である。

その第一回目の場所が阿佐谷で、当時の見慣れた景色を二人が歩いていた。

 


そんな二人の阿佐谷、高円寺時代の心象風景で綴られた曲は「Orange」である。

去年、番組内で発表されてから何度も何度も聴いた。

まだまだorangeの夕方ど真ん中にいる私でさえも、お二人のリリックはガツンと胸というか、こめかみに響いた。

この曲を聴いて「こうしちゃおられん」と自分の環境を改める大きなきっかけにもなった曲なのだ。

 


総武線に乗って水道橋」。

ドームでMC WAKAのこのリリックを生で、直接くらって私の頭じゃ処理できなかった思いは液体となり頬を滑った。

高校生の頃愛読していた「社会人大学人見知り学部卒業見込み」「蘇る変態」。

そこから紆余曲折ありながらもブレる事なく、ど真ん中を貫き通している。

まさにリアルヒップホップなおふたりなのだ。その姿勢をもって”遊び”を作っている。

 


それから「POP VIRUS」も本当にくそ良かった。

MC WAKAの今回のリリック。その内容はビーフというよりも、真っ直ぐなリアルであった。

だからこそ、響くし興奮がもう止まらない。

 


世の中の矯正されたリアルに見せかけたフェイクに飽き飽きしながらも、そのバランス感も重要なのかななんて思ってしまうこともあるが、全力でだせぇなと思ってもいいんだな、と拍手が巻き起こる本当にミラクルな時間でそう体内でストッと落ちるものがあった。

 


 


2019年日本武道館ライブで観た漫才。ご本人はそれを超えるものはもうないとよく電波の上で話をしていたが、今回の漫才はもうすごかった。

かねてから何ににもならないバカで阿呆な結晶体、”無駄”と”ヒマ”によっていのちは眩く輝いた。

そして「たりないふたり」で観た身を削って、生命を張ってオチに結びついていく。

 


伝説という言葉があまりにもおつとめな言葉として伝わってしまうから、なんとも括れないが圧倒的に面白いものが観れた。

4時間以上に及ぶお祭りもあっという間に終わってしまい、明るくなった会場にデラックスとそれぞれに感動を噛み締めながら、ひとりの状態から戻ってくる。

 


一宮から武道館、そしてドームまで共に行けて良かったな、なんて話をしながら会場を出る。

そして、また改めて展示も行こうと「じゃあまたね」とすぐ解散になった。これぞプロの友人である。彼は喫煙所へと颯爽と消えていった。

彼もまた何かをキャッチしていた。

 


まっすぐにひとり通しになることによって届いたり、繋がるものがある。

そして、とことん遊べる時空が生まれる。

貫くというよりも、ただつづけたという言葉の方が近いかもしれない。

愚直にど真ん中をつづけることによって、生まれた伝説級の瞬間の連続、それが私の観た東京ドームライブであった。

最高のライブを、本当にありがとうございました。

 


過去の点と点。それらが繋がり、結ばれた直線ほど強くておもしろく、かけがえのないものはないのだ。

そう、ドームに屹立する太陽の塔は私にニヤついた。

とべるお兄ちゃん(02.17)

昨夜、ライブの帰りにラーメンへみんなで行った時に鍵盤の小田くんから「とべるお兄ちゃんってなに?」と聞かれた。

なぜそれを知っている…!?

 


そう、何を隠そう私は一部界隈(尾張小牧)のキッズから、とべるお兄ちゃん」と呼ばれているのだ。

 


 


小田くんが、母校である中学でなんと講演をしたそうだ。それだけでも何だそれ!とどうにも面白いのだが、その当日担当をしてくれた女の子がいたそうだ。

小田くんがピアノやってるの?と聞いてみるとその女の子は「はい」

 


「やっちゃん先生っていう人に習っています」と。

 


そしてすかさず小田くんは「え、もしかして○○音楽教室!?」と聞くと女の子はイエスと答えたそうだ。

そうなんです、その教室とは実家のことであり、やっちゃん先生とはまさに私の母、通称コズミックガールのことなのである。(コズミックガールについては過去の日記で)

こんなビンゴを起こす日常はやはり面白くて、どっか変。

 


そして、小田くんが「そこの長男とバンドをやってるよ〜」と話すと女の子は言ったそうだ──

 

 

 

とべるお兄ちゃん!!

 

 

 

「とべるお兄ちゃん!?」。小田くんの心中を察しますよ。

そうだよね、流石にわかるぜその驚きは。

まさか同じバンドメンバーに「とべるお兄ちゃん」という側面持ち合わせている人間がいるとは想像できなかった、というか考えても何のことかわからないだろう。

 


「とべるお兄ちゃん」とは一体なんなのか。それはすぐに紐解かねばと、岐阜タンメンを啜りながら当時の話をした。

 


 


私がまだ実家に住んでいた4、5年前。

リビングの隣の部屋で音楽教室は開かれており、自分の部屋にいてもピアノ、エレクトーンの音が鳴っているのは日常のことであった。

 


今思えば控えろよと当時の自分に言いたいのだが、帰宅するとレッスン中だというのに「今日のごはんなに?」と聞く悪き日課があった。

お菓子を買って帰るので、その献立によってどのように食べようか順序を考えるためである。

 


生徒さんからしたら謎だっただろう。

玄関でドアを閉める音が鳴り、ドタバタと音が聞こえ、レッスン部屋のドアがバタっと開かれ「今日のご飯何?」と。

いつも見る謎のお兄ちゃんが先生に夕食の献立を聞き「生姜焼き」と先生が答えると「お〜〜」とぽつねんと残し去っていく。

 


というか、ピアノの先生が一瞬「誰かの母」になる瞬間も怖かったであろう。

私もレッスンのその瞬間の前後は知らないため、もしかしていたら「生姜焼き」と答えるその前に叱られていた可能性もあるのだ。

 


あんなに怒っていた人が「生姜焼き」と言った──。

「宿題なんでやってないの?やらないとダメでしょ」ーガチャ「今日のご飯なに?」ー「生姜焼き」ー「おおぉ〜」ガチャー。

 


母よ、すまんことをした。

話がずれてしまった。こんな時に役に立つ○くん、召喚!

 


 


レッスン部屋開き母親に問う中で、なにやら不思議そうにこっちを見ている5〜8歳ほどの姉妹がいる。

母が私を紹介すると二人はとても興味を示している目でこっちを伺っている。

私には以下のような方程式がある。

 


興味を示した目をしているキッズ二人=めちゃくちゃにふざけられる瞬間。

 


そう、思うがままにふざけられるのだ!!

 


「おれ、実は空が飛べるんだよね」。

二人にそう言い放ってみると「え〜?」と恥ずかしそうにしている。

見てて。

 


ドアの手前でバレーで鍛えた跳躍力で高くジャンプし、頂点に達したタイミングでドアをバン!と閉める。そして数秒経ち、ドアをバン!と開けた瞬間に着地する。

そしたら──

 

 

 

姉妹「すごーーーーーーーい!!!!!!!!!!!」

うそ!?!?!?えーーーーー!?!?と盛り上がっていた。

 

 

 

え、私、改革後のモンスターズインクで働けるんじゃないか。

もう、気持ちが良いほどに二人は盛り上がり、それから私は「とべるお兄ちゃん」と呼ばれるようになり「もう一回!」と言われてもHPを多く使うから連続でできないのよ…とディティールまで詰めてストイックにその名に恥じぬよう活動してきた。

 


その時の少女が、たまたま小田くんの担当となったというのだ。

なんというぐうぜん。

 


ちなみに、当時「あ!とべるお兄ちゃんだ!?」と帰宅する姿に指をさし、それが私でなく弟であった時は「あぁ…、とべないお兄ちゃんか…」とがっかりされていたという。

弟よ、巡り巡るほど大したことのない風評被害を申し訳ない。

 


 


実家のこども部屋にて、かつての黒歴史をうぅ…と開き読んでいたら「ちょっと来て」と母がやってきた。

レッスン部屋に招かれると、かの少女二人が…!!

 


大人になっている……!!!!!

 

 

 

そして、もう…ふざけられない………。

 


感動と儚さと嬉しさが込み上げた。

いや〜、でも流石にふざけられないな。

 


小牧に戻ると、毎回世の中が灰色。

現実じゃないような、何か非現実的なような。

そうだ、なんか自分が幽霊みたいな感覚がする。

町が装いを変えても、その影響が自分にダイレクトには及ばない、残念なことに部外者なのだ。

 


懐かしむことしかもうできないのか──そう思った時に一つ目標がぽつんと生まれた。

またどこまでも青い眺めを見たい思うものなのだ。