こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

プロの友人(猫ミーム)(02.16)

今回は長めに愛知に滞在することにした。

祖父母にも顔を出したり、墓参りへ行ったり、変わっていく町を呆然とみたりした。

 

大学生活のいつもの4人組で久しぶりに再会した。

プライベートで遊んだのはラーメンに行った2回くらいで、ずっとスプラトゥーン2のハイカラスクエアで集合しては朝まで共に戦った仲だ。

そんな彼らと久しぶりにラーメンに行くことになった。

 

 

集合し、私の車(母の)に乗り合わせラーメン屋へ向かった。

到着して久しぶりに食べるらーめん丸八はたまらないほどに美味かった。

そして、目の前に座る友人O。何か言い出すと思い顔を上げると「風俗行きテェ〜〜」と例年稀に見る赤子のような純朴な目で突然言い放ち、私は吹いてしまった。

 

この状況を”猫ミーム”で例えるなら「久々の大学時代の同級生とのラーメン」で、我々は口をOの形でパクパクしているだろう。

 

私はまだ縁がなく興味津々で「今まででいっちばんおっきいおっぱいってどのくらいなの?」と聞いてみた。

すると「結局俺は見た目の方が大事だなあ〜」なんて言っていたが、彼からしたら私なんてヤギポジションだろう。

恋愛に繋がったりとかはないの?なんて無粋な質問をしてしまった。

 

 

帰りにキンブルという安いリサイクルショップ屋に寄った。

あまりにも家具や安く、私は小さく飛び跳ねた。

もちろんBGMでは「はっぴいはっぴいは〜っぴい〜♪」「はぴはぴはぴはぴは〜ぴ〜〜♪」。

 

しかし、友人が「これどうやって持って帰るん?」「ハイエースがあったとしても、今どうやって持って帰るん?」と眉間に皺を寄せて言うもんだから、私は定期的に「はあ・・・」「はあ・・・」と受けごたえした。

 

そして、またみんな車に乗り込み「ドンツトトン♪ドンドンツトン♪」と踊りながら帰った。

そして、我々はプロの友人関係をやっているので、もうその場で解散した。

みんな部屋が大好き、着いた瞬間に「はっぴ〜はっぴ〜はっぴ〜♪」なのだ。

 

 

上京して、気の合うバイト仲間で集まった時にカルチャーショックがあった。

みんなで飯を食って、さあ〜帰るかあと言った瞬間「え?まじ?」と一瞬場が凍った。

 

先輩「ほあほあほあほあふーん」

私「・・・ミャ〜〜」

先輩「ほあほあほあほあふーん」

私「・・・ミャ〜〜」

 

胸中ではキュー、キューと泣く子猫であったが、そうしちゃおられんと思った私は、頭に手を当て──

 

「HEYHEY!YOUYOU!ふふふ ふ ふんふ〜〜〜♪」と踊りながら、みんなとカフェへ行った。(ちなみにサイゼリアも却下された)

 

プロの友人をやってきたものだから、埋め込まれてしまった”帰宅癖”。しかし、その癖のせいで取り逃していることも山ほどあるだろう。

だからそういう時こそ・・・!!

 

「チュピチュピチャパチャパドゥビドゥビドゥバドゥバ

パチコギツルント ビューービューーービューーー♪」と頭をぶん回して行った方が良いのであろう。

 

 

(完)

進化は光る(02.15)

”MURABANKU。SHINKA TOUR”名古屋篇が無事終わった。

お越しくださった皆さん、念を馳せてくださった皆さん、本当にありがとうございました。

ここまでやってこれたこと、また今後をまた始められることも、普段僕たちの音楽を聴いてくれていたり、チェックしてくれている皆さんの活力のおかげです。

ありがとうございます。

 

 

今日のライブで現メンバーでの名古屋ライブはラストだ。そして、名古屋から始まったバンドとしても自分としても、これはけじめをつけるライブになるだろうと確信した。

 

しかし「けじめをつける」という大きな言葉はどうにも身の程に合わない。ならば、その大きな言葉は花火の種にしちゃお〜と、とにかく来てくれた人が入場してから帰るまで”なんかずっと楽しい夜”を目指した。

 

そして、テーマとして掲げた「進化」。メンバーがバンドから離れるという意味合いでもあるのだが、私の中で進化とは、今の自分をちゃんと成仏することである。

 

去年一年、エンタメにおいて自分がグッとくるもの、興奮するものはなんだろう?と探求した結果、見つけた言葉が「いのちの輝き」であった。

言葉にすればベタなのだが、やはり何かに則ったものより、みてくれを気にしたものよりも、バカで阿呆で素直でぶっ飛んでて愛がこっそり詰まっている一瞬がかけがえのないものだと感じる。

 

じゃあ、どんな時にそれは発揮されるのだろう?と考えたときにポケモンの進化の瞬間を思い出した。如何にも電波脳である。

 

上手くいっても、上手くいかなくても、素の状態で全力を出すことによって、今の自分たちは成仏される。そして、それぞれ一人ずつがそれぞれの次に進めるのだ。

これは自分達だけじゃなく、来てくれたみなさんも共に「進化」をはかることができたら、何かそれぞれのハッピーが少し見える予感がした。

よし、これはみんなのライブになるぞ、と。

 

そして、お世話になっており大好きな音楽仲間を呼んでみることにした。

 

 

すべては愛知は尾張小牧にある倉庫から始まりました。

ライブのMCで鍵盤の小田くんが「当時はアンチテーゼを考えて〜」と話していたが、まさに答えのない着地点を考え続ける日々が続いたのだ。

 

当時のことを思い出すと拗れに拗れていただろう。

賑わってて楽しそうな同世代の界隈には行かない。

ライブ中MCでアルバムを「引っ提げて」という言葉や、拍手のタイミングを促すための「ありがとうございます」は言わないだとか。

飲み会もしなければ、出演したイベントの打ち上げにも参加することはなかった。

ストロングオブストロングスタイルを極めてしまっていたのだ。

 

しかし、それらは自分の中で”正”に対する”反対”を取っていたわけではない。

賑わっているからという動機でその界隈に踏み込むことも、タイミングを作るための感謝も、気を遣って褒め合うことも、全部”フェイク”であるからだ。

 

自分が幼い頃から好きなモノや憧れの人は、みんな前例のない場所から1を生み出している。それはすなわち自分の”リアル”をちゃんと持ち続けることが大切なのだろうと、周りにも煙たがれるなか、頑なにそこだけは信じてきた。

 

そして、そんな状態の我々を見て拾ってくれたのが、今日ゲストで出演していただいた「しょうにゅうどう」の河合慎吾さんなのであった。

 

 

今でも覚えている。凄く語弊があるが、対バンで初めて”びびび”があった。

その日はサポートでウッドベースを弾かれており、その佇まいに演奏が本当にカッコよかった。

動脈の隙間まで音が沁みるような体験があった。

 

それからDMで「この週末の金山ブラジルコーヒーのライブ、きっと好きだと思いますよ」と連絡をいただき、これは行こうと行ってみるとNRQがライブをやっており、名古屋のミュージシャンが一堂に会していた。

高校の頃に部活のヒデが知ったように「かわいい子の知り合いはかわいい子なんだよ」と言っていたが、あながち間違いではなかった。

かっけえ人にはかっけえ仲間がいる。

 

そこから、私たちの名古屋でのライブは本格的にスタートした。

本当に刺激的で最高なバンド、ミュージシャンばかりで、私たちのルーツはそこで育まれた。

 

だからこそ、今回「しょうにゅうどう」のお二人にはゲストで出ていただきたいと思い、お声掛けしてみたら快く引き受けてくださった。

ライブでは、私の好きな一曲を勝手ながらアレンジさせてもらい、お二人にもお客さんにも好評で嬉しかった。

そして、それは思い出に留まることなく、今後の新たな計画にも繋がりさらに嬉しかった。

 

 

檸檬」という同級生の二人にはDJをしていただけた。

 

当時、頑なに「年齢が近いからというだけで意気投合したら身内オブ身内ノリになってしまい」と敬遠していたのだが、自分達だけでやるにも身内ノリが強まってしまうなと悩んでいた時に出会ったのが檸檬の二人であった。

 

はじめはインスタで知り、活動が本当にカッコよくてこれまた”びびび”があった。

これはストロングスタイルでやっている人だと確信の持てるようなアカウントだったのだ。

 

当時作っていたフリーペーパーの新聞の制作を手伝っていただき、それまで昭和の怪しさ溢れる新聞がパステルのかわいい新聞になったのだ。

確か卒論を書いていた頃で愛知で共闘した期間は意外と短かったのだが、上京する前に出会えて本当によかった。檸檬のおかげでバンドが垢抜けられた部分があったのだ。

 

そんな我々の今までの様子を知ってくれていて、音楽という文脈をミクロで大切にしているお二人にDJをお願いできたらなと思い、久しぶりに連絡をしてみた。

やはり檸檬に何か依頼する時は緊張する。硬い文章で送ってみたら絵文字付きで返信がきてあぶね〜〜よかった〜〜と、無事引き受けてもらえることになって嬉しかった。

 

Spotifyにて、当日のプレイリストが公開されているから是非聴いてみていただきたい。

彼女たちは本当にプロですぜ。歌詞だったり最後に鳴る楽器の音で次に繋がっていく。

 

そして、二人それぞれの選曲がまたグッとくる。

タミヤさんは歌詞で紡いで、エンジョイ(ノゾミ)は旋律で紡ぐ。

そのプレイリストの流れに一曲一曲を改めて聴いて、やっぱり色々バレてんなあと小っ恥ずかしくもなった。

 

会場でLianne La Havasの”Seventime"が流れたときはハッとした。

不思議なもので一音聴くと、情景がパッと広がるもので、愛知に居るとずっと愛知に居るような不思議な感じがするが、その音で東京の日々がス〜〜と脳裏に映し出された。

 

エンジョイの仕業か!!!!!

 

そして、この「成仏」の感覚は星野源”生まれ変わり”を当時聴いた時に宿ったもので、それも会場で流れた時に、あれ?話したかな?と思ったが、これまたタミヤさんの仕業であった。

 

いきである。二人の選曲のおかげで今回のライブについての意図をMCで言い過ぎなくて「楽しさ」で貫き通せた。大感謝である。

 

 

そして、この日ライブに来てくれるというものだから、せっかくだし・・・!とお声を掛けたら出演してくれたムルヒさん。

上京した翌日に自粛が始まり、私はゲームに没頭する日々へ。

 

気づけばその世界でプレイヤーの上位数%まで上り詰めて、あぁ世の中にもう戻れないかもしれない・・・となっていた時に、ムルヒさんと共作した「14番道路」というアニメーションのMV。

 

キャラデザを描いて、ムルヒさんに送る。すると、それがアニメーションになって返ってくる。

とにかく偏愛を詰め込もう!と車のデザインから街の情景まで作っていただいた。

 

しかし、その時ムルヒさんはまだ宅録がサブスクに上がっているくらいでライブはまだ全然されていなかった。

そして、その時すごくお仕事で忙しくされていた。その中でこのアニメーションを創ってくれたのだ。

飄々としているが、その背景には私の想像のつかない現実と戦っているんだろう、と彼の作る細部のこだわりからも、その血をすごく感じた。

 

こうしちゃあおられん!!と動き始めて繋がったのが川口センキヤさんである。

あの時、ゲームを極め続け、ものづくりの世界へ帰ってこれなかったと思うと怖い話である。

ムルヒさん、本当にありがとう。私にとっての救世主なのです。

 

今日のライブでは「14番道路」に電波脳歌詞を作ってみて、ムルヒさんが見事に歌い上げて下さった。あぁ、最高だったなあ。

ムルヒさんのバッグバンドをやるという約束も忘れちゃおりませんよ。また、楽しみにしています。

 

 

凄く長くなってしまったが、最後に我々のセンターをつとめてくれたお二人、生駒先輩にとますプロ。

 

生駒先輩は、大学のビッグバンド部の先輩。入部した時のキャプテンである。

愛知でライブがあるたびに出演していただいており、この日また生駒先輩含め名古屋時代のメンバーと演奏できたことによって報われる日々があるように感じた。今回もありがとうございました。

 

そして、フィドルのとますプロ。私が大学の頃カントリーの箱バンでギターをやっていたことがあり、そのカントリーのライブハウスで知り合い、自主制作盤の制作時にフロントマンをやってくれていた。

 

しかし、部活の方も忙しく我々は東京にも行くということでフェードアウトする形になってしまった。

それからしばらく疎遠になっていたのだけれど、去年ライブに来てくれて再会を果たした。

その時に「あの時、ちかとがやりたかったことがやっとはっきりわかったよ」と彼は真っ直ぐな目で言ってくれた。

 

私自身も、五線譜が読めなければ、音楽理論も全くわからなくイメージの共有だけでアレンジしていくものだから、なかなかに難しい想いにさせてしまっていたのだろうか、申し訳ないことをしたな・・・と思っていた。

 

「でも、本当に、嫌になったとかではなくて。それが言えなかったのがずっと気がかりで」と彼は「ごめん」と言った。それ以上の質量のごめんを私は抱えていたのに先に言わせてしまった。私もすかさず謝り、ぜひまた一緒に演奏しようと約束をした。

そして、今回がまさにそのタイミングだと思い、声をかけてみたら快く引き受けてくれた。

 

ライブはかつてない楽しさがあった。彼は当時から上手かったのに、格段に上手くなっており、その場の空気をしっかりと握ってくれ、圧倒的なフロントマンをやってくれ演奏しながらもかなりグッと来てしまった。凄まじかった本当にありがとう。

 

 

ライブ終演後、岐阜タンメンでみんなでラーメンを食べた。

今は飲み会もやるべきだとたまに打ち上げをやっているが、愛知でこうやってみんなで飯を食うのも不思議であった(テーブルは分かれていたが)。

 

小田くんに実家まで送ってもらい近況報告を少ししながら解散した。

とにかく良いライブになってよかったねと讃えあった。

 

当時、抑えて抑えて出来るだけ抑えてきたものが、反動となって光となった感覚があった。

それは私たちが発光しているのではなく、目の前の客席が光る瞬間があったのだ。

当時じゃ恥ずかしくてあまり見れなかった客席も、今はライブを展開していくためにもちゃんとみれるようになった。

あの日だからこそ気づけた輝きを、これからも大切にしていきたい。

髪と自意識(02.14)

朝の6時ごろ、愛知は尾張小牧にある実家に到着した。

翌日の「MURABANKU。進化ツアー名古屋篇」のため前乗りしたのだ。

 


ライブがある時にしか帰省しないということを続けている。

公務員にさせるべく教育をされてきたというのに、このありさまである。

 


 


就活をするフリをして、何もないのにスーツで外に出ては本屋で立ち読みしていたあの頃。

「面接なのに靴、スニーカーで行ってない?」という何かを察した母親からのラインに

「今日はカジュアルなところだから大丈夫〜」という安易な返信によって全てが露呈したあの頃。

 


ちゃぶ台をひっくり返すように上京した身で、年末年始に帰省して一丁前に一家団欒できるほど能天気ではない。滑稽が過ぎるであろう。

 


朝6時に帰り、キッチンを見てみると母親がカレーを作ってくれていた。

それを大盛りにして、妹が撮り溜めてくれた録画を観ながら一丁前に過ごしていると、順番に家族が起きてきた。

リビングで録画を観ながらカレーを食べる姿は何よりも滑稽であっただろう。

母親のカレーと録画の相性はもう最高であった。

 


 


昼になり、母親妹とランチへ行った。

帰省すると毎度改めて自分は山の麓の寺町と喫茶文化の中で育ったんだなと思い出す。

子供部屋から小牧のお城が見えるのである。

 


いつも行く喫茶はいつからかカフェとなった。小牧にあった喫茶もどんどんと無くなってしまっている。

跡を継ぐ人が居ないのだろう。スタバとは縁が遠かったこの町に2店舗もできていた。

もう、知らない世界線だ。ランチを済ませて、よそものの感覚で一人散歩した。

 


そして、予約の時間が近づいてきた。

中学生〜大学卒業までずっと髪を切ってもらった床屋に久々に行くのである。

 


 


ガチャン〜と扉を開けるとカラカラと備え付けのベルが鳴った。

「ちょっとお待ちくださいね〜」と席に腰を下ろした。

 


さすがにもう私のことは覚えていないか。ならばどのようなスタンスでいこうか。

そう考えていると名前が呼ばれ、荷物を預けて鏡の前に案内された。

 


腰を下ろして、顔を上げると「いつもの感じで良い?」と。

 

 

 

 


粋な姉さん!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 


そして、私はすかさず「あ、センターパートでお願いできますか?」とお願いした。

すると「前髪下ろしてた子が次々と分けていくわぁ」と話されており「そうせざるを得ない空気があるんすかねえ〜」なんて会話が始まった。

 


 


見た目というものに本当に興味がない。見た目を整えて他者より「良い」と思われたい欲がビタ一文とない。

なぜなら、中が良くないからである。

 


当時、第一ボタンを開けることもしなかった。

「反抗」という動機で第一ボタンを開けるなんて、なんて純粋で良い人なんだ。

その上、学校の模試はちゃんと受けてちゃんと結果も出す。

記号的に収まることによる「安心」だったのだろうか。

それを注意する体育会系の先生も叱りながらも結果一蓮托生していく。

 


まじでなんなんだ!?!?

 


本当の「反抗」って何なんだろうと考えた結果、私は第一ボタンを締め続けてバレないようにワルをすることだと閃いた。

 


どんなワルをするかって?それは──

 


①模試の最中お腹が痛いと教室を抜け出す

②誰にもバレないように全校の男子トイレを巡る

③そして、全てのトイレ大のレバーを捻り「ジャボ〜〜」とさせる

 


馬に鹿と書いてバカであろう。しかし、そのスリルは半端じゃなかった。

扉の開いている教室の廊下を渡る時の緊張感たるや。

おれこそがソリッドスネークやぁ!!なんて思い、回りきったら教室に戻り可もなく不可もない土屋くんに戻る。

 


どこに向けた、何だったのだろうか。

 


もはや怖い話である。しかし、髪を切られるなかで「校舎がどんどん新しくなっている」なんて話を聞くと、忘れていた当時のことを次々に思い出してしまった。

 


わかりやすく反抗して、わかりやすく身を整えて、わかりやすくコミニュケーションを取ると「モテる」。

でしょうね!?!?と反射的に思ってしまう、それは’不謹慎’なのだろうか。

当時の私は絶対的なひとつにこだわり、全てを見過ごしていた。

 


 


ご夫婦で営まれている床屋で、息子さんも小学生になっていた。

近況を話したり、たまに土屋を知る人がお店に来て話題になるなんて話を聞いて驚いた。

こんな感じでどう?と開かれた背後の鏡を見ると、まさにセンターパートになった自分が映っていた。

 


このお店であの数年間「おまかせで」としか言ってこなかった自分が「あ、センターパートでぇ」と注文する未来が来るなんて、第一ボタン閉めっぱなしの私に考えられただろうか。

 


髪型を注文するなんて、わかりやすく変化を求めている人だ。

「ふぅ〜ん。そっかぁ〜。変化したいんだねえ〜」と思われる空気感に居ても立っても居られない。だから「おまかせで」を貫き通してきた。

しかし、その時に比べると自分の中の自意識がガツンと減ったのだろう。

 


そりゃそうだ。こう!と思っていることはちゃんと伝えなければ、目の前の人に伝わらないのである。

そして、それは手段としてわかりやすいほどがそりゃ通じやすい。

つまりは、ものづくりは己を開示しないと理想とするモノは生まれないのである。

 

 

 

って、当たり前じゃん!!!!!!という突っ込みはちゃんと自分で落とし前をつけたいと思う。

当時は、曲を作ってもその動機はメンバーにすら話せず、ライブでは曲紹介もできず口上を立ててやったほどだ。

数日前に書いた高校生がカッコよかったので、分かりやすく真似ることのしたのである。

 


床屋の姉さんと兄さんとは結局「ゆるキャン」のアニメの話題で盛り上がった。

気を遣わせてしまうかな?と渡すのを躊躇していたCDも、ジャケがゆるキャン聖地巡礼をして見つけた本栖湖で撮影したため、話の流れでお渡しできた。

するとお姉さんが「チェックしま〜す」と言うもんだから、あ!ヲタク口調!!と言ってみると二人とも笑ってくれて、またいつかとお別れをした。

 


店を出て、中高の登下校の道に出るとズコーーっと小牧山ごとひっくり返った。

結局真ん中分けちゃうんですかァァァァァァァと銀魂突っ込みする小牧山に敬礼して帰った。

 


家に到着すると、妹からは好評で母からは前の方が良かったと早速賛否が分かれた。

あぁ、やっぱどっちでも良い。まあ、とにかく明日のライブに来てくれ。

 


私は多くの人の前後を見届ける美容師、床屋に圧倒的なリスペクトがある。

深夜を抜けて宇田川町(02.09〜02.13)

ひっくり返って“あたりまえ”は生まれる。

 

去年の夏からこの春に向けて、自分の中に幼い頃からずっと存在する”純粋に興奮する”ものを考え続けてきた。


そのなかで2つはっきりするものが見えた。それをもっと感覚的に形にしてみるという作業を夜中にこそこそやってきた。

 

 

渋谷喫茶スマイルにて“The ○○ show”と題して、半シークレットライブを行った。
ありがたいことに多くの人が入り、立ち見も生まれた。感謝である。

 

初ライブという感覚が久しぶりで’新鮮’という言葉が近いのか’わからない’という言葉が近いのか、初めて聴いてもらう音楽が多く、どのように受け止められるか心配であり楽しみであった。

 

なぜ、受け入れられるか心配だったかというと、完全にアウトローな感覚で作ったものが多かったからだ。歩み寄る気持ちよりも、学校に馴染めなかったり、世の中に対する退屈さなどをギュッと固めたような。


そこを軸に夜から朝の6時になるまで、バンドのみんなとあーでもないこーでもないとノイローゼコンテンツが一番笑える状態までさしかかり、曲たちは仕上がっていった。

 

ライブは盛り上がった。しかし、省みるポイントが多く内心「あぁぁぁ」と思いながら楽しめた感覚はすぐに待てなかった。

 

そんななか来てくれた人の感想を色々聞いてみると、それぞれに色んな受け取り方があり嬉しかった。なかには不思議とちゃんと”人の曲”となっていたのだ。

 

難しい話なのだが、制作物において自分のたりなさを絞ってつくるくせに、自分のモノにはしたくないのだ。

欲しいのは、満足よりも衝撃や興奮なのである。

 

あぶね〜〜なんて思っているととある曲に対して「かわいい曲だった」と言ってもらえた。


ガッツポーズであった。意味不明なのに「かわいく」思える。
それこそが自分の好きなポップの概念なのである。多くの課題が帰りの肩を重くする中、一筋の光をちゃんと握れて良かった。

 

リアルヒップホップの精神でひっくり返すのである。

 

 

西荻窪に下北沢。スタジオを出ると世の中は朝になっている。


集まった人たちの持っている「イカしてる」「クールだ」という記憶の痕跡による美学によって曲がみるみる進化していく。


ライブの翌日、行けるメンバーにより早速反省会が生まれた。

東急から奥渋谷に繋がる一本道。そこに屹立するベローチェ


上京して、自分の好きという気持ちひとつだけを持ち流れに身を任せて流れ着いた宇田川町。
少しの間、その土地を離れていたが音楽の活動でまた偶然ここに戻ってきた。

 

時間が来てしまいお店を出て、近くに駐車場にてヤンキー座り作戦会議をした。
平熱の中に情熱をコソッと持っている人が私は好きで信頼をしてしまう。
真っ暗な駐車場で行われたその会議に、私はワクワクしていた。

 

どんな半年後に抜けられるか全くわからないが、私は圧倒的にたりない一人である。

センターパートの彼(02.08)

人生わからないものだ。

「えぇ!?土屋さんやめちゃうんですか!?」という一文が、まさかこんなセリフに接続するなんて。

 

「土屋さん、好きでした・・・」。

 

 

おぉ、まだ名も知らぬ青年よ・・・。

私はただ立ち尽くし「え」「まじ?」の二言を宙にぶらりんとさせることしかできなかった。

 

全く想像していない未来が突然目の前に展開された時、人は毅然と立っていられるか。

なあ、君ならどうだ。この状況を如何に立ち回るか。

 

私の胸中の田中みな実は偽物であった。大先生よ、アンサーを教えてくれ。

 

 

本来、今頃引っ越しを進める予定であったが、先日投稿したように電球を変えたら万事解決して、その世界線は絶たれた。

しかし、今のバイト先には既に辞めるという旨を伝えてあり、この最終出勤日それぞれに「引っ越しで辞めるんです」とホラ吹きまくり挨拶をする他なかった。

 

今後、近くのスーパーで立ち合わせたらもう地獄である。

それでもなんぼのもんじゃいと思うほど、出勤してもほぼ喋らない人間でやっていたので「まぁ、いっか」で済ませてしまった。

 

そんな中である。あまり話したことのない青年が退勤時間になり私の方へやってきた。

「お先に失礼します。あれ?今日は何時までですか?」。

 

お・・・!話しかけてくれた・・・!!

その嬉しさをスッと押し込め応えると「まだまだありますね〜」とその青年はキュートに微笑んだ。

 

 

退職時の挨拶問題というものがこの世には存在する。

お別れの挨拶をどこまでの距離感の人までにするのが一番良いのか、そのラインは非常に難しい。

 

「退職」とは当人にとっては今後が左右される一つのイベントなのだが、実際その身の回りの人の地球は何も変わらず回り続けるのである。

要は「知らんがな!」と思わせてしまうということだ。

 

愛知から上京する時も「僕、上京します!」と大々的に挨拶しても「知らんがな!」と思われるだけだろうと粛々と上京したのだが、それはそれで良くなかったということがその数年後にわかったことがあった。

 

ちゃんと挨拶はした方が良い。言うべき人には。

 

といった、理論から見ると、何もやることがないけど手持ち無沙汰で何か作業をしてるフリをしていたところ話しかけてくれた彼にはちゃんと言うべきだ。

そう思い「あ、今日が最終出勤日なんです。短い期間でしたけれど、今までありがとうございました。」と伝えた。

 

けして「”実は”今日が最終出勤日なんです。〜」とは言っていない。

この”実は”という導入こそが「知らんがな!」の呼水であるのだ。

 

すると、「え!?土屋さん辞めちゃうんですか!?」と青年から予想をして居なかったリアクションがあり、おや・・・?と展開が読めなくなった。

 

 

冒頭のセリフに戻るが「好きでした・・・!あ!その恋愛ってことじゃないでしょ!残念です」と。

 

あ〜〜〜〜〜〜〜れ、それこそ彼が入ってきた時にはもう辞める直前で、情報量増やしても・・・・とちゃんと挨拶もしていなかったのだが、あれ〜〜〜??

あ!!と記憶を辿ると彼と一度話したことがあった。

 

休憩中にたまたま、まかないの飯を食べる彼を見たことがあった。

私服がかなりストリートでお〜!かっけえ人なんだ〜なんて思いつつ、よく見ると彼のテーブルにはおかずしかなくて、ご飯がなかった。

 

いや、待てよ。これはダイエット的なことなのか?それとも頼み方をわかっていない・・・?

でも、かなりスポーティーな人だし、ダイエットではない。それにあのおかずってご飯が存在するだけでアビリティを発生させるレベルで、今の彼には80%ご飯が必要なのでは!?

 

私は初対面に関わらず「ご飯の注文の仕方わかります?」と背後から話しかけてしまいびっくりさせてしまっった。

すると「え、ご飯頼めるんですか!?」と ━━ フゥゥゥぅゥゥゥ!!!!あぶね〜〜〜!!よかった〜〜〜!!!

 

次、彼がまかないを食べる様子を見てみると、テーブルにはご飯があり無事おかずのアビリティも発生しておりミッションクリアとなった。

 

それか!!!!その時のことで覚えていてくれたのか!!

 

 

最終日にして初めてしっかり話した。初めいつでも会話がやめられるような空気感を作っていたのだが、少し腰を据えて話すことができた。

彼にはちゃんとした理由を伝えたほうが良いかもと、周りにはほぼ言っていないのだが音楽やってることとサブスクで聴けることも伝えた。

すると、彼は目を輝かせて聴きます!!と言ってくれた。その、目の輝きにふと「あれ?今って学生さんなんでしたっけ?」と聞いてみると━━

 

はい!高校一年生です!!

 

 

はあああああああああああん!!!高校一年生!?!!?!?

しっかりしておる・・・・・。圧倒的な光量の正体はそれか〜〜〜〜!!

そう思うと同時に「ラーメンをご馳走したい」と言う自分のエゴが脳を司り始めた。

 

しかし、流石に大人が突然「ラーメンでも行こうぜ」は怖いかなと理性を取り戻し、もし気になるライブがあったらDMでもして〜と伝えてお別れをした。

 

バスケをやっていると言う彼の持っている自然なクールさとストリート性。それがすごくカッコよかった。

そう、すごくカッコよくて「あ!同じ髪型にしよ☆」と浅はかなまでに簡単に影響されて、私は髪型を変えることにした・

前髪が目にかかって狭まる視界にもそろそろ飽きた頃である。また、彼とどこかで再会できた時にはちゃんと白状しよう。

んぐぁぐぐ(02.07)

どうも、2月12日にいる未来の私で失敬します。

できるだけ毎日投稿したい日記だが、気づけば1週間弱空いてしまった。

なので今回は、8日から12日までの予告編日記とさせていただきたい。

 

では、早速行ってみよう☆

 

 

さ〜て来週(明日から)の「こしあん日記」は〜!

 

土屋です〜。

最近引っ越しを考えていたのですがあ、その予定はなくなり、けれど、バイト先に「引っ越すからやめます」と伝えてあって、ついに無職期に突入です☆

そして、退職際に衝撃の結末が・・・!

 

さて、次回は

「高校生に告られる」

「こだわって10分の1しか進まない」

「万策の尽きる日曜日」の三本です。

 

あ〜〜ん。あらっ!ふふふふふ!

来週もまた見てくださいね〜!(んぐぁぐぐ)

 

※お楽しみに!

虚無を抱きしめ空っぽで寝よう(02.06)

深夜にスーパーへお菓子を買いに行こうと玄関のドアノブを握ると、外の世界は真っ白にメイクアップされていた。

誰も踏んだ形跡のない。まるで雲の上のよう。

 

なんだか楽しいな、なんて思っているものの、やはり寒い。

そう、もう結局寒いのだ。やっぱり家から外に出るもんじゃない。

無事ちょっとしたお菓子を収穫し、帰りは小走りで内側へ舞い戻った。

 

 

朝(昼過ぎ)に起きると外はもう晴れており、だんだんとその真っ白な化粧も落ちてくる様子であった。

こりゃバイトあるなあ・・・と財源が確保されて安心するような面倒が勝るような、二律背反なまま毛布にくるまって二度寝を決め込んだ。

結局その後、出勤して見事にスリップするという。死ぬかと思ったわ。

 

夜は一丁前に鍋を作った。キムチ鍋。

肌にすぐできものが出来てしまうという永遠の悩みがあったのだが、生活リズムをぶっ壊してから全く出来なくなった。

不思議なもんだ。これでその人には、その人にあったリズムが存在しているということがこの身を持って証明できる。

さあ、きみも夜の民へ!!

 

結局、キムチ=辛い=刺激物ということでニキビはポツンと生まれた。

 

 

今日も今日とて、音楽制作。

明日の練習に向けて、細かいコードを作っていく。

 

一曲、すごくヒップホップ的でかっこいい曲が出来たのだが、「クソが!!!!!!!!!」という動悸で作ったにはその「クソが!!!!!!!!!」感が足りないなと、コードの数を4倍にすることにしてみた。

 

んん〜〜〜とぐるぐる考えていると、足元のカーテンの裾から光が液体のように流れてくる。

モニターの右上の時間を見ると、朝だ。

そして、ももに置いているノートを見ると、なんと理想のコードの動きが完成しているではないか。

ミッションコンプリート。寝ることが許された。

 

日中に作業をして、夜ゆっくり好きなことをやって寝れない。

あれ、まだ終わってないよなあ?という未処理の問題が雨雲のように追っかけてくるのだ。

私は、日中に家じゃ作業できない。そして、夜こそ制作に没頭できるのだ。

完成!!寝れる!!という状況で寝ることが、一番うまく眠れるのだ。

だから、肌の調子も取れるようになったのかな?

 

寝るときは、虚無を抱きしめて空っぽで寝よう。