こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系。日常の真ん中はこしあん日記

大学生に歳下だと思われ続けている(06.03)

やってきました、月曜日。

梅雨も始まるなかみなさんいかがお過ごしだろうか。

こちらは、低気圧にぺしゃんこにされながらも日々を過ごしておりますよ。グヘー

 

なぜこの身体はそんなにも低気圧に相性有利を取られてしまうのか対策をいよいよ調べ始めた。

そして、バイト先では大学生に歳下だと思われ続けている。

 

 

学生の頃は、バイト先の人からよく26歳だと勘違いされることがあった。

これが不思議な話でドンピシャで26歳だったのだ。

 

基本部屋の中にいて、話し相手はゼミの教授か映画館のバイト先の映画ヲタクの先輩、それかカントリーの箱バンのおっちゃんたちくらいだったからだろうか。

 

私はキャンパスで大声で話している人たちよりも、めんどくさい噂ば話で盛り上がってる人たちよりも、カントリーのおっちゃんがローテンションで女性を口説く文言を真剣に語っているのを聞く方が好きでワクワクした。

誰も話をカットインすることもなく、穏やかな話だなあと聞いていたら「なんじゃそりゃ!」というあの最もくだらなくて小粋な空間。よかったなあ・・・。

 

しかし、いざ学校やバイトとなると何かギアが合わない。

周りの求める刺激が自分にとってはどこか物足りない気もしたし、だからと言ってキラキラするものにはさほど興味がない。

好きな食べ物は、ばあちゃんの作る茄子の煮浸しであった。

二郎ラーメンだったり、おしゃれなパスタでもない。

 

そう、つまり私はじじいなのだ。

若者であることをやめるか〜と明治文学を読み耽った。

そして、学校やバイトという環境では”他者にとって明るい部外者”という特に誰かに迷惑をかけることもなく干渉することもない唯一無二のポジションを築き上げた。

 

今思えば、それはそれはで表題にもなり得る黒歴史となるのだが、それもあって老生していたのか「26歳」と思われることが多かった。

 

そして、26歳になった今、大学生に歳下だと思われて日々を過ごしている。

 

 

なんで!?!?!?!?!?!?

 

前提として上下関係などは全くないのだが、さすがに気になる。

君は歳下だから敬語を使ってもらわないとなあ〜ということが気になるのではない。

なんで!?!?!?!?!?!?ということである。

 

そして、これは今回だけではない。

一昨年、派遣のイベントスタッフをやった時もそうだった。

 

たまたま帰りが一緒になった大学4年生の方に突然女の子の写真を2枚スマホで見せられた。

 

「付き合うならどっちが良いと思う??」

 

わかるかい!!!!!!!!!!

 

いや、わかるかい!!まず、君が誰だ。

しかし、私は間髪入れずに答えた。

 

「前者の人は清楚っぽいけど何か違和感を感じますねえ。

後者の人はギャルって感じだけど、きっとピュアで第一印象とあまり変わらないんじゃないですか?」

とテメエも誰だよという意味のわからない返答をした。

 

すると、彼は一言──「わかってんじゃん」。

 

いや、わかってないよ!?!?!?

勘というかあるあるをただ言っただけだよ!?

 

それから彼はまた一言「君、就活はもう始まった??」。

私はこう答えていた「ちょうど、資料を取り寄せてるとこです」。

 

嘘つき〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

というか、ここで「24歳っす」みたいな妙なリアリティのある返答は彼のためにもできなかった。一体どんな空気が生まれるのだろうか・・・それはそれで気になるなあ。

会話は続いた。

 

「そっか、これからか。

んーっとね。就活すれば自ずと自信もつくよ」

 

自信無い人だと思われてるうううううううううう!!

 

いや、表情やオーラに自信が無いなと思われて占い師に声をかけられるというのは聞いたことがあるが、シンプルに「アドバイスをもらう」ってことある?

 

それから「自信がつくとモテる」とモテるためのテクニックを教わった(聞いた)。

何で学んでいるのですか?と聞くと「そりゃネットで勉強してる」と教えてくれ、一番大切なことは?と聞くと彼は自信を持って「清潔感」と言った。

 

 

いや、可愛いかよ。ピュアにも程があるぜ!?と思いながらも、やはりこういった人たちには一生敵わないなと痛感した。

しかし、この歳下と思われる現象は不思議だ。

 

ずっとモヤモヤしていたのだが、ふとした時に気づいた。

あ、大学生やってなかったからその分社会からより遅れているんだ。

 

非常に恥ずかしい話である。大学という社会と距離を取った分、そこで学ぶ、感じるものを今更履修しているのだ。

 

上京して1年経って思った。どこか過去の日記にも書いたかもしれないが、上京後の生活はちゃんと心を開かなければうまくいかなかった。

バイト先も音楽周りも。

 

内の方に向いて行くことはいつでもできるし、どこまでも掘り進められるが、暗い場所は自分の部屋だけで十分だ。

当たり前の話だが、ちゃんと部外者でなく当人としていなきゃいけない。

それがどんなけ大変なことかあああああ、でもやるんだよっ。

 

しかし、ちょっとは変わるものだ。同級生と久しぶりに会う時に「ああ〜そういう感じでやってたなあ、、恥ずかし、、」となる。

これを読んでくれている人もそう思うことはあるだろうか。

 

ここ数年でぐうぜん出会えた人たちとの不思議な近いようで遠いようで近いような距離感。これは本当に感謝である。

 

やっぱり誰かと何かを作ることが好きだ。

集まった瞬間、ば〜〜っと何かを作ったりダラダラ話したり「じゃあっ!」っとまた一人になる。

それを繰り返しているうちにありえないようなモノができたり空間ができたりする。

きっとあの時よりもイキイキと生きているのだろう。

 

ちょっと先の未来、そして結構先の未来を見据えて(いるフリをしながら)日々あれこれと考えている。

その一人で悶々と考えた先、出会った人たちとの化学変化でやってくる未来が楽しみだ。

とにかく日常ハードコアがまた始まっている。

みなさんも脱力系ピュアを持って、目の前のハードコアを極めましょ。