こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

弾語りとブラジル(01.27)

今年初めてのライブが終わり、電車に揺られながらその酒の臭さで今日が金曜日だということを思い出した。

 

ちゃりんこばかり乗ってる私に満員電車に耐えられるほどのHPがない。

言わずもがなの点滅状態でピコンピコンと私の身体で鳴る音がホームで電車が閉まる時に鳴る音とシンクロし「ど~でもいいっ!!:と改札を出て寒空にフライアウェイ!

 

途中でスーパーに寄るも相変わらず永遠といっていいほど買いたいものはなく、ぼーーっと物価をただ眺めた。

今日は初めて弾語りライブに呼んでもらえ、40分間演奏した。

 

いつもなら目立つメンバーの影で立ち回るポジションだが、ソロとなるとその時間たっぷり自分の間で展開していかないといけない。

どうしたもんかいのう。おつとめ品をサーチしながら、同時に改善点を探す。

手ごろなものばかり選んでもしょうがないなと普段買わないチョコ系のお菓子を2箱買って帰った。

 

 

インスタを開くとDMが来ている。

以前、突然DMが来て一緒にトラックを作った。それをきっかけに仲が良くなったブラジルに住むQumma、通称QちゃんからのDMだった。

私は完全に昼夜逆転しているので、大体Qちゃんと同じタイミングで活動しているのだ。

 

なんだろうと開いてみると、弾語りをしているストーリーズに「NICEEEEEEEEEE」と反応してくれている。

それに単発のamazing!と。

神保町でのライブがすぐにブラジルに届くって、本当に不思議な話だ。

 

 

普段、誰かとずっと連絡を取ったり通話をずっとする習慣がずっとない。

だからこそ、自分の中では”普通”なことが人によってはドライに思われたり、情が無いと思われることがある。

 

そのときに、毎回人は自分の不安を誰かで補完ことによって安心するってことが本当にあるんだとハッとする。

私自身もきっとそうなのだ。そうなのだ、と思いつつ実際のところ、自分が追っている音楽や漫画アニメ、TVerYOUTUBEがあれば自分は補完できちゃうのかもしれない。

だから、一人でいる感覚に慣れすぎちゃっている弊害がたまにでてしまうのだ。

 

今思えば、プライベートではそんなに干渉し合わないというプロのヲタクたちとの皆目が死んでる~~♪な学生生活を過ごしてきたため、きっとそのあたりで歯車が狂ってしまったのだろう。

しかし、そんな中自分の部屋で自撮りした動画を送りつけるなんて習慣が生まれている。

 

そう、Qちゃんである。

 

 

バイトが終わり、深夜ファミレスで作業をしていると「Hey!!Chikachaaaaaaaam」と超優雅な自然の中で家族と楽しむQちゃんの動画が送られてくる。

それに対して私は配膳ロボットに目の前に転がるシロップの山を送り返す。

すると強めの一言。「Awesom!!!!!!!!!!!!!!」。

 

おかげさまで翻訳アプリを使う頻度が減った。

早口なのは聞き取れないし、難しい単語はわからない。

けれど、もっと簡単な言葉にしてくれ!!とお願いすればキャッチできたりする。

 

この感覚って何なんだろう。どっかで感じたことがあるんだよなあ。

んん~~と考えてみるとびっくり、まさに弾語りをしてる時の感覚だった。

 

 

Qちゃんに聴いたイメージどんな感じ??と聞いてみると、日本語はわからないからあくまでイメージだけど~~と話してくれた、その心象風景がまさに同じでびっくりした。

言語は違えど、思い描く風景が繋がることって本当にあるんだ。

 

弾語りのライブはすごく楽しい。。緊張の具合が高ければ高いほどやっぱ楽しいのである。

今日もまた久しぶりに外の世界に出れた。そして、また内へ内へ内へ・・・。

 

どこに続くはわからないが、掘り進めた結果行きつくのはきっとブラジルだから、Qちゃんとも会える。

もう朝の7:37なので何言ってるかわからないが、ブラジルにも届くような歌を作っていきたい。

動画を送りあう日常はこれからもつづくったらつづく。