「自己肯定感」という言葉がずっと怪しいなあと睨んでいる。なんだかずっと纏わりついてくるような感じがしてくすぐったい。
肯定感などそもそも無いのだから、高められるか!と思っていても「あなたもさあ、一つ優しくなりましょう?」と時代に寛容を促されるような時に不安を感じる。
しかし、怒涛の2024年を過ごす中でその正体が少しだけわかった気がした。
日常のど真ん中はこしあん日記、今回で最終回です。(Ⅰ〜Ⅲ)
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2023年は自分の魂を確認するような一年だった。
そして、2024年はその魂を持って、実際に色んなことに挑戦していくような一年になった。
MURABANKU。というインストバンドは新体制へと生まれ変わり、たくさんの仲間が増えてより活動の幅が広がった。自分の中にしまっていた本来のビジョン(恥ずかしさ)を取り出して、さらにそこにご縁という魔法がかかり、想像していなかったような未来に辿り着けた。
個人的にも音楽の仕事が増えて、結果的にバイトを入れる時間もなくなりひたすらあらゆる制作に打ち込む日々が続いた。
1日に5つの打合せに帰宅して深夜は頼まれたアレンジのDEMOを作ったりと、かげぶんしんでもしてるのか!?と言う怒涛の日々が続いた。
そんな中10.13に投稿した日記「新しい夕暮れ」にも書いたが、やることがピタッと一旦落ち着いて何も無くなった時に途轍もない虚無感に苛まれるという体験があった。
それを今改めて解釈すると”自分の中の人間的な幸福度が空っぽ”であることをふと自覚して怯んだということだ。ズコーーー
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自分のやりたいことを挙げるなば反吐が出るほど枚挙にいとまがない。
それらを同時並行で進めていくとなると、シンプルに時間と体力を他に費やせない。
いろんな物事はゆっくりと進んでいる。しかし、いざ自分という1個体をポンと脳内のGoogleマップに浮かばせてみると、あれ、これで本当に良いのだろうか・・・とただ社会に擬態しているだけで、確かに浮き彫りになってしまっているその影の濃さよ・・・。
当時の日記にもあるが、人間的な幸福度を高めていこうかと考えたが、結局それは放棄してやりたいことに没頭することを選んだ。(部屋だけは模様替えしたが)
今この目の前から伸びているであろう、幾つかの世界線は全て両手で繋ぎ止めていたい。それはチャンスを掴みたい!というよりも、一寸先は闇である故に、その時にそこに私は辿り着けていたいという絶対だ。
ぼんやりと立っていた吉祥寺も段々と暮れゆき、その後はバンドの企画ライブとギターで参加する京都アニメーション『たまこラブストーリー』の音楽イベントに向けてまた怒涛の日々が再スタートした。
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12月、日記の更新が止まってしまった。厳密に言えば下書きには保存されているのだが、かけがえのない時間たち過ぎて上手く言語化できずに箇条書きのノート状態になってしまい、そっと下書きに保存してしまった。
そして、あまりにもバタバタしておりこれまた忙し自慢のような仕上がりになってしまって没にしてしまった。
にしてもハードだったよ!?!?(言うんかい)
突然とあるびっくりなCM出演が決まり、2日間丸々撮影が入った。帰宅後はまた担当してるアレンジのDEMOを作り、徹夜で2日目に突入。現場で空いている時間には、たまこライブで追加で届いた曲の耳コピをしてその日のうちに読みたい本を読み役目を果たして、翌日は企画ライブであった。
しかし、それがとても楽しかった。その凝縮された数日間でそれぞれ乗り切ると全然違う物事の未来が同時並行で蠢いていくような不思議な感覚があった。
そのために生きていると言ったらあまりにも大袈裟だが、世の幸福度に関するものはひとまずいいや・・・と思ってる自分には向いているのかもしれないなと感じた。プールを跨ぐように没頭を繰り返すことで色んなモノを作っていける環境があるというありがたさだ。
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企画ライブもチームのセンスや多大なる協力のもと、ビジュアルも最高にかっこよく、ライブもそれは盛り上がり、さいこうに楽しい一夜となった。
100人規模でのライブができたことも本当に嬉しかった。お客さん側から伝わってくる”音楽が好きだ”という愛の上で、自分達は音楽ができているんだなとアンコール時にグッときてしまった。出会えた・・・という漠然なる嬉しさがあった。
対バンは憧れのスカートである。澤部さんとは4年前に偶然近所でお会いして、それから1シーズンに1回くらいのペースで一緒にお茶をさせていただいている。
そのお茶がとても楽しい。語弊があるかと思うが、自己肯定を諦めている話で盛り上がれるのだ。
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プライベートな時間をこうやってバレなさそうなところでおっぴろげにするのもなんだけれど、この前は洒落た喫茶で「人間向いてないんだよ〜〜〜!!」と澤部さんは全力で嘆いていた。文章では伝わりにくいだろうが、これがどれだけ楽しい時間であることか。
程度やベクトルの差はあるだろうが、私自身、社会では擬態人間故にすっごく奥の方でわかる・・・・・・と共鳴できるのだ。しかし、その場では「わかる!!」というのもなんかちょっと違う気もして「いやあ、でもそれでも、すごいっすけどね〜」とか薄〜い返答しかできていないかもしれないけれど・・・。とにかく、前向きになれる時間なのです。
そんな澤部さん・スカートのトリオ編成は本当にかっこよかった。もう、痺れまくり。やばすぎるよ!!
あんなに身体中が蜂の巣状態にされるのってスカートのライブぐらいな気がします。なんというのでしょうか、どこか日本のバンドっぽくないというか、迸っているエネルギーにヨーロッパっぽさを感じる。
それは澤部さんがレコードマニアといった背景を知っているからというフィルターもかかっているのかもしれないが、体感で感じられる気持ちよさが明らかに稀有なのである。かっこよかった。
学生の頃から好きなスカートとの対バンを2024年で実現できたというのは本当に嬉しかった。最後横一列に並び、カーテンコール(?)の時に見た風景は死ぬ時の走馬灯入りが確定された。
諦めた何かたちがなんだか報われた、そんな気がしたのだ。
(続く)