こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

気を揺らせ (01.13)

胸が何かに引っ張られるようにして井の頭線の改札を抜ける。

suicaならぬmanakaでピッとするのは、常に自分は田舎の人間であると自負するためだ。

夕陽も落っこちたまっくらな空、それはきみの遊びの時間だ。

 

右手でギターケースの取手を握り足取り軽くライブハウスへ向かう。

そんな田舎民の自分が都会で音楽をしているのはどこか可笑しくて笑っちゃう。

 

 

今日は大好きなトラックメイカーでありギタリストのFuさんに呼んでもらって、数億年ぶりにセッションライブへ参加した。

 

私はギタリストであるが、いっさいアドリブができない。

私はリードギターよりもコードをガシガシ弾くのが好きで、学生の頃はビッグバンドをやっており管楽器の後ろでリズムを担っていた。

学生最後の頃には、カントリーの箱バンに所属して、そこで初めてリードギターをやってみたりした。(だから、カントリーリックしか弾けない)

 

自分のやっているバンドではほぼコード弾き。

偶にレコーディングでリードギターを任される時はあるが、毎回即興でソロを弾くことはなく、決めたソロを弾く、すなわちアドリブはあまりしないのである。

だから、今日のセッションイベントは自分の何か知らない扉が開かれる気がして楽しみだった。

 

 

下北沢CREAMに到着すると、もう早速セッションは始まっていた。

いや、ジャムという言葉の方が可愛いのでジャムと言おう。

何かわからないけどニヤニヤが止まらない。

今年初めてのライブだからなのかなんなのか。

 

先日、ようやくゲットできたフルアコをケースから取り出し、チューニングをしながら今日の出演者のキャラクターをじっくり見てみる。

このギターは本当に最近買ったばかりで、やっとバンドセットで音が出せるのがもう楽しみでしょうがなかった。

 

フルアコというのはどんなギターかというと、一般のエレキよりも形状がアカギに近くて、バイオリンのような穴が空いており、主にビッグバンドなどで使われていたギターだ。

私のフルアコは、1960年の物でテスコという日本の古いブランドから出た所謂ビザールギターだ。

いよいよ、ビザールギターしかもってない人間になってしまった。

 

キーだけ決めて、漢のワンコードセッションが始まった。

私はペンタトニックといったチャイニーズ系なソロしか弾けないのだが、テキトーに思うままにやってみたら何か知らないソロが弾けたりした。

これがジャムか…!!!

 

 

何周かして、Fuさんが「ひとり一個何か遊びを考えようよ!」と投げかけた。

珍しく私は率先して「1小節にひとり1音しか出しちゃいけないのやってみたい!」と提案してみたら「おもしろそうやん!」と早速やってみることにした。

 

ギターもベースもサンプラーもドラムも「ワン、ツー、スリー、フォー」の1小節に1音しか鳴らしちゃダメなのである。

 

だから、自分の音が全体でどう作用するかも、何秒後の世界を予感しながら「ペッ」とギターを鳴らさないといけないのだ。

だから、そもそもできない可能性もあるが、本当に見事にハマったら自分の知らない音楽の世界を体感できるのである。

たまんないでしょ?

 

 

極めてシュールなグルーヴが成立した。

生まれる一音、そしてまた生まれる一音をジャンプしていくように。

まだ完成さえしていないが、めちゃくちゃ最高の遊びを見つけることができたのだ。

 

遊びを一つ見つけられると、同時に隠しステージが解放されるように未だ見ぬ世界を楽しめる。

 

そして、Fuさんのバイブスがやっぱり好きだ。

まずギターのプレイが最高にクールでかっこいい。

そして、場の空気を牽引してくれ、時にお前やれんのか?と振ってくれる。

見とけよ!?と私のヘタクソななんちゃってギターソロが炸裂する。

すると、笑ってくれている。

こりゃ、隠れガッツポーズである。

 

一億光年ぶりのジャムは本当に楽しかった。

同時に、こういう曲作れたら面白そうだなあというアイディアも生まれた。

とにかく自分たちが気持ちが良いと思う一音。

こんな遊びなかなかできないから、本当に嬉しかった。

 

 

帰り際に今日初めてお会いした日本に旅行に来ているD氏と会話した。

「お前のギターめちゃ良かったぜ。バンドとかやってんの?」とお互いのバンドを教え合った。

前のバイトで培った、追憶の中学英語がここに来て役立った。

 

同じムラバンク。のベース、丸山も来ており帰り際彼と話していたが「へぇ、あと3週間なんだ」と返しだけがなぜか日本語で、どこかタジタジになっていた。

それをD氏の彼女さんと何となく見ていて、お互いに目を合わせることはなく「He is shy guy」とぽつんと言ってみると「Yeah」とクールにぽつんと返ってきた。

それがシットコムのシーンの切れ目のような間があり、笑ってしまった。

とことん嫌なヤツで申し訳がない。

 

 

自分なりの新しい遊びをこれからもどんどん追求していきたい。

そのためには、気を揺らすことが大切なのである。

 

日々に疲れを感じている人は、実は日々の退屈さに疲れを感じている可能性が高いと見る。

目の前に何もないのは自然なことだ。しかし、そこで自分の木なる気を揺らすことにより、知らない遊びが落っこちたらする。

 

「退屈さ」それがきっと我々の共通の敵なのである。

それを私はヒマを持ってハッピーに変えていきたいと常々思っている。

世の中に本物のハッピーなんてないんでね!!!!!

 

ケッという気持ちにこそ、きっとポジティブな何かは生まれるのです。