こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

南国とさざ波(09.02)


身の丈に合わないロビーで「うう…」と一人辛みをころころ転がしながら待っていると
エントランスから車の停まる音が ──

樋口氏!!!!!

気まぐれなスコールが顔を出す沖縄の空の調子は不安定なものであった。しかし、そんな空も一気に冴えるような、そんな再会があった。

三ヶ月前、彼は突然「沖縄いいなあと思ってさ。おれ、沖縄に引っ越そうと思うんだよね」と聞いた時は驚いた。
しかし、さすがの樋口氏である。
この短期間で本当に沖縄在住の樋口氏になっていた。



遡ることまだ上京する前の2019年。彼はメロウイエローバナナムーンというくそカッコいいバンドのドラムをやっており、名古屋KDハポンでの対バンライブで知り合った。
リハの時にリズム隊がコソコソとディアンジェロの曲で遊んでいて、その小粋なグルーヴ感と距離感が強烈にカッコよく衝撃で未だに覚えている。

あまり話せないままライブが終わってしまった。
お別れの挨拶回りをしていると階段前にて「MC、めっちゃ良かったです」と樋口氏がボソッと、しかし真っ直ぐと言ってくれた。
すごく嬉しかった。嬉しかったというより、きっと空回っていたと思うのだが、何か見透かされた気がして心が勝手に許された気がした。

「今度東京に行く予定があって、良かったら蕎麦でも食べに行きませんか?」と、当時の私にしては思い切ったお誘いをしてみると、快く「行きましょう」と言ってくれた。
後に代々木公園〜幡ヶ谷の間にある蕎麦屋へ行き、そこで音楽に映画に価値観に意気投合し東京に行く時はよく泊まらせてもらうようになった。



それから4年、私は東京4年目になり、樋口氏は沖縄1年目となっていた。前に会ったのはほんの3ヶ月前なのだが、この3ヶ月は本当に長かった。


南の島。自分にとっては非日常的な景色が車窓に流れていく。お互いの近況を話し、度々伊藤大地氏のドラムはやっぱ本当にヤバいと盛り上がり、また話題は近況の話へと戻り、旅情溢る一本道よろしくうねうねとしながら平熱で

そこで私は白状してしまった。観光が、私は本当に苦手だと。折角家族に連れてきてもらった旅行だ。しかし、いちいち気にしてしまうというか、気になってしまうことが多い。

高級と言われるものにも、名所と言われるものにも興味があまり向かないのだ。


それを話すと「ああ、違和感を感じちゃうんだね」と樋口氏も近い感覚があると話してくれた。

何度も自分に対して「素直に楽しもうや」と思ったが、素直に違和感を感じてしまうのだ。非常に困ったもんで!
家族とのご飯は凄く楽しかったが、自分たちを抜いたその空間になんか凄いのぼせちゃいそうになる。
一人で行動をしている時にどこかで「幸せ」という言葉を聞くたびに吐きそうになり、挙句の果てにはトイレへ駆け込み向かい電子版の「ドロヘドロ」を買って読んで、何とか平然を保つことに努めた。

わざわざ沖縄まで来てなぜこうなってしまう…。

そんな話をう〜〜んとする中、我々は道の駅に着いた。
「ここのサーターアンダギーがめっっちゃうまいんだよ」。地元民ならではの何気ない提案に凄くワクワクした。「へえ、道の駅のが美味いんだ!」。
その時に自分の中で大切にしている何かの影が一瞬見えた気がした。

結局道の駅のサーターアンダーギーは人気でもう既に品切れだった。
諦めた私たちはA &Wへ向かうことにした。

ルートビア。あの湿布の味はカントリーの箱バン時代を凄い思い出す。やっぱり美味しくはなかった、けれど美味いのだ。


フランスの映画監督、俳優のジャックタチの話ができた時は凄く感動した。腰をかけたソファには少し角度があり、そこでバーガーを食う樋口氏はあまりにも画になっており思わず写真を撮ってしまった。

そこで聞いた彼の3ヶ月も怒涛の期間であり奇しくもその画に感じたものと一致してしまった。

樋口氏と話すタイミングは偶然にも自分の考え方というかスタンスというか、何かが変容していくタイミングと重なることがよくある。今回も結果的にそうだった。

あまりにも自分に足りていないものがある。それは改善点を探す方が良いのか、もういっそ諦めた方が良いのか。変にかけているブレーキは緩めた方が良いのか、ちゃんと踏むほうが良いのか。無理をした方が良いのか、しない方が良いのか。

色んな話をするなかで樋口氏は「やっぱさ、自分の感情と相手の感情がこう、真ん中で混ざると”気持ちが良い”んだよね」と言っていた。

その時にびびびっと「あぁ、あの樋口氏のドラムのビートはまさにそういうことなのか…!」と合点がついた。このスタンスが、まさに音楽にも繋がっている。

人というより「今自分が取りたいスタンス」。
ありがとう樋口氏、自分がやるべきことがわかったよ。
シンプルに、私にはこの旅行を楽しめる余裕が無かっただけだ。



家族と夕食を食べホテルに戻り、沖縄最後の夜をベランダで過ごすことにした。
ホテルの光が強いから星は綺麗に見えなかった。だけど、暗い海からただ漂う様な波の音が妙に心地良かった。

Googleマップを開いてみた。生活圏から随分遠くに居る。不思議だった。
そうか、私は今渦中の外に居るのか。その感覚に何とも言えないもどかしさがあった。

ああ、こいつが正体か…!?
今自分がやらないと、突破しないといけないことがその”渦中"にこそあるのだ。


特に変わり映えもない普段の生活。それもいざ離れて見てみるとまざまざと見えるものがあった。

あれ、おれハードモードを極めていないか…!?

夜の孕む風でさざ波が立つ。
遠くの部屋から電気が消える。
道の駅の品切れのサーターアンダギー。
スーパーで買った見たことないちんすこう。
樋口氏に教えてもらった秘境のビーチ。
そこで共作したトラックの素材たち。
突然やってきたスリランカカレー屋の店長。
ギター貸してと突然”STAND BY ME”を目の前で熱唱し始め驚いたこと。
沖縄に住む遠い親戚の中学生女子との会話。

「学校帰りは映画が好きで映画館によく行きます」
「想像している様な海とかは行かないですよ!」と話してくれたこと。

”観光”からちょっと外れた所に、色んな人とのエネルギーのある会話があった。
ずっとその地に居るのに、何か居ない様な感じ。

なんか騙されている様な感じ。

 

ああ、そっか。何か起こったり、訪れたりするのは何気ない人と人との空間にあるんだ。そして、それが私は好きなのかもしれない。人の本当はその何気なさにこそあるのだ。

 

だからこそ、体裁などシンプルに興味が湧いてこないのだ。それに、自分もそれを纏っている自覚があり愚かだと思った。


その人の”おかしみ”にキュンとしちゃう。
そういったことがないと日常は退屈なのだ。
樋口氏が言ってた「真ん中」もこのことと近い感覚なのかなあ。



波風に晒されて気がつくと日が登り始めていた。
開きっぱなしのradikoから知らない番組が流れている。
残念なことに日の出は丁度ホテルの反対側で、私はただ周りが明るんでいく様をぼうっと見届けた。

朝に鳴く鳥の声がする。それを録音しようとボイスメモを開くと昨夜の録音があった。
なにぃ?ロバート山本よろしく記憶が朧げのまま聴いてみると、なんとフルコーラスでメロディが完成していた。
お、良いかもしれない。
しかし、鼻歌まじりのメモは恥ずかしくて聴くに耐えきれない。あとのことは東京の自分に託そう。

今シーズンの自分は一度9月をもって打ち切りにしよう。そのために今の環境にある当たり前を見直そう。
そう決めてからの朝食ブッフェは最高だった。
観光が楽しめるようになるには、それはきっとギブができるようになってからだ。

いや、その時になってからしかわからないか。