(前回のつづき)
新宿南口にあるマックに到着した。幼馴染S君はまだ到着していないようだ。先に2階の席を取って注文しようかなと階段を降りると丁度S君が現れた。
階段の踊り場にて「あ、あれ!?あ、あの土屋さんですか…!?」とイニシエヲタクをやるS君。それに「でたな、人間の仮面を被った悪魔め」と私は一括でお返しした。
ここは新宿のはずだ。だが、しかしこの階段に孕む空気は見事に愛知県尾張小牧の"あの"感じであった。
不思議だ。やりとりの温度感というのは、もしかすると尊いものなのかもしれない。
そして、お気づきの通り我々の取るコミュニケーションは面倒くさい。兎に角、面倒くさいだろう。
それが、本当に疲れることを一瞬で思い出したと同時に、このキャッチボールに落ち着きどころがあることも脊髄で思い出した。
かつては「マックでDS」でWi-Fiという響きの新鮮さにwktkだったら我々も今や真顔でモバイルオーダーする仕舞いだ。
しかし、あの平和堂のフードコート一ヶ所にしても、記憶を辿ればとめどなくあの頃のしょうがねえ記憶がどんどんと溢れ返る。
そのフードコートの話題で必ず登場するJ佐藤という同級生がいる。
私自身も身長が高い方だが、彼はもっと高く190cmはありがたいも良い。
「あいつほんとしょうがねえよなあ」そう毎度のことながら話す地点へ向かうつもりでスタートを切ったのだが、今回は思わぬ方へ転じた。
彼は高校を卒業した後就職して稼いだマネーはほぼヲタ活に注いでいた。私はそんなに懐事情故厳選した上でのペイしかできない故、J佐藤はヲタクとしての鏡というか憧れでもあった。
「今も稼ぎはヲタ活に注いでるんかな〜」といつものように話すと衝撃の一言──いや、丁度この前会って、あいつヲタク辞めたらしいよ。
あいうヲタク辞めたらしいよ。
ガビーーーーーーーーーン。
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初めてちゃんと聴いた。ガビーーーーーーーーーンという音を。
なんと彼は今、それが全部美容にいっているというのだ。美容が良い悪いとかの話では全くなく、シンプルにガビーーーーーーーーーンであった。
かつて、まだヲタクがキモいとされていた時期に何故かこっそり映画版のけいおんを観に行った思い出。そこから派生してただただ萌ゆる心の赴くその方へ、足や財布の紐を緩めていた同士、いや先輩が前線から離脱している事実は、寂しかった。
え、てか久々に会ったの!?声は上擦った。
「おん、久々に。てかみんな土屋は生きてるんか?って話しとったよ」。
STILL ALIVE〜私はまだ、生きている〜。
前回にも記述したが我々の中には「馴れ合いはしないプロの友好関係」がある。(あると思っていた)
こまめに連絡は取ったり一年に一回も会ったりせず(会っていた)ただこの空の向こう(みんなは同じ屋根の下にいたが)、そして似ていて違う境遇を共に其々頑張っている生きているのだ。
まさに〜心の友〜、いや、〜最上級のプロの心の友〜なのだ。(と思っていた)
サムライチャンプルーやカウボーイビバップだってそうだろう。我々は侍でありスペースカウボーイなのである。(と思ってたのに!!!)
みんなバリバリに会っていた。会ってたんかいという気持ちはあるが、いやはやこれはどんな現在をそれぞれ過ごしているか気になる。
イナズマイレブンのキャラクターたちが大人になった"その後"が気になる様に。
とは言ったものの、突然連絡するのもお互いにびっくりしてしまうだろう。空いたこの10年には謎のむずむずが絡まっており連絡しづらい。
というか、何より格好つけて"一人をやってる奴"と思われてそうで怖い。単純に逃げの一人なんだけどな。
その後S君とお互いの近況を割と真面目に話した。
彼のしている仕事は凄く興味深かった。今開発中だというアプリを見せてもらった。
画面の中に広がる6畳くらいの部屋、そこになんと──二次元の女の子が居る。
二次元の女の子だ!!!!!ワーーーーー!!
可愛い。そして、話せる。
二次元の可愛い女の子と話せるのだ!!
私は言ってしまった。
「ちゃんとヲタクやってんじゃん。」
すると「ばかやろう。そんなもんだって」とS君は言った。
中学生の当時バレー部でアタックの回数より「けいおん!!」の澪ちゃん派かあずにゃん派か、どっちが萌えるかを語り合い愛瀬川沿いを共に走った彼が、今も心の高まりによって生まれる何かで戦っているのが嬉しかった。
趣味が趣味だけじゃなくなっている。しかし、趣味のまま仕事にしている、その姿勢に高まりを感じたのだ。
その画面を見て私のこめかみは「びびび」っと鳴った。
お互いになかなか濃いヲタクの部活だったねと話した。
田井先輩はずっと部室で「あずにゃん萌えるんだがァァァァァァァァァア」と叫んでおり、ツッコミは基本銀魂ベースのものであった。
「って、オオオオオオオイ!!」ばっかり鳴り響いている。
しかし、あの頃に初めて「高まる!!」という言葉を先輩から教わったのは大きな出来事だったかもしれない。
その感動や衝撃が言語化されたその言葉は、未だに肉体に染み付いており、またアンテナとなっている。
あの頃「高まり」をレシーブしたものが、未だにトスし続けている。そして、音楽だったり作品を作ったり、リリースする時にはアタックを決めるためにジャンプする。
それをまたどこかでレシーブをしてくれる人がいるというのは本当に不思議で楽しいラリーである。
高まりを繋げるやりとり。
自分の音楽の話をすると「お前がずっと好きだったもんな」と、それにかつて好きだったものが今や時代の第一線になってるよなとS君は言った。
あの頃に私は中毒になって以来矢張りそんな変わっていないんだ。
それから、私とS君も所謂スクールカーストのどちらでも無い場所にずっと居て、私は未だにどこに行ってもそのポジションなのだが、中学卒業後S君はどうだったか気になって聞いてみた。
「ずっっっと、同じ。結局どちらでもなく、中継してる」と話していた。
周りに人はいるけど、誰も居ない。凡ゆる集団の中でこういった場所にポジションになってしまう人を私は「踊り場の民」と呼んでいる。
あっちでもこっちでもなく、結局ここという。
S君も矢張り未だにそうらしい。
私もずっと踊り場にいる。基本的には一人なのだが、「あ!向こう岸に人がいるぞ!」とナゾの渡り廊下が生まれ、会話できるのは本当にありがたい。それは、相手があっちの人でも、こっちの人でも。
またガガガガガとナゾの渡り廊下は収納されゆくのだが。笑
サマソニに出る、その前に。かつての、そして今の自分のスタンスを知ることができた。
そして、この話はもう2ヶ月前の話。
暮れたビーチの上で、とてつもない踊り場の人と繋がる奇跡が起こった。