こしあん日記(Koshiahh’s Diary)

MURABANKU。の土屋慈人の日常系

忙しいのか暇なのか

忙しいのか暇なのかわからない。

先週買った玉ねぎでパスタ作るか〜と棚から取り出してみた。すると、驚いた。

てっぺんに龍が舞うレベルに芽が生えているではないか…!

え、あれ、いつ買ったんだっけ。え、てか今いつだっけ?

私は大困惑した。あれ、昨日まで何食べてたっけ?

 


忙しいのか暇なのかわからない。

現状、音楽だけで毎日を過ごせているわけではない。バイトの日があり、イメージを考える日があり、ひたすら鬼の連絡網を回す日があり…。

しかし、TVerを見ながらシャワー浴びるのめんどくせ〜と呆けることも多々ある。

 


 


ある時ライブ直前に「土屋さん」とお声がかかり何事!?と振り返ると「映像を作るのも良いのですが、土屋さん、文章を書きましょう」とお客さんからスパッと言われた。

すると颯爽と去っていき、その小粋なお声かけにかっけぇ〜と感心していたが、たしかに久しく「日記」が書けていないことに気がついた。

そして、それからまた随分と日にちが経ってしまった。

 


その理由をふと考えたのだが、どうにも日記を書くと「忙しいアピール」になってしまう恐れがある。

1日のうちに、これとこれとこれとこれをこなしました!という日記はあんまりであろう。

そもそも、何故か忙しさを表立ちさせるのに抵抗がある。

それは高校の時から。

 


 


前期のアニメ何見た〜?最近面白い漫画なんかあった〜?

高校時、よくそんな会話をしていた。

しかし、ある時からだんだんと「時間がなくて何も観れてねえわ〜」という人が増え出した。

そういう返しを受けてるうちに私は思ってしまったのだ。

 


あ、この人諦めちゃったんだ。

やっぱセンスなっ!!!!!!と。

 


その人よりもきっと忙しくしているのに、前期のアニメを一通り観てる人は本当にヒーローの様にかっこよかった。

それは身の回りだけでなく、好きな芸能人もどこにそんな時間があるんだろうと思うほど、物事をディグってる人が多く、漠然とそういう人への憧れがあった。

 


そういう意味では、その頃の将来の夢は「暇人」だったのかもしれない。

 


 


最寄りではないけど交通費をケチれる駅で降りて、帰路へ着く。その道中でハッとする。

あ、おれ今抹茶のモナ王食ってたんだ、と。

手元にはそれがさっきまで存在していた袋と、口内では今更抹茶の香りが漂い始める。

 


何にそんな集中していたんだろう?

というか、そもそも食にそんな執着がない?

「ケチってアイスを買う」というのはご褒美というよりも美学としての"それ"?

 


そんなことを考えていると家につき、無でその日消費したカロリーを爆食いにより回収する。

 


 


忙しいのか暇なのかわからない。

時に生き急いでいるねと言われることもあるが、私はそう言えるほど器用な人間じゃない。

足を止めた瞬間に、少し先の一つの世界線がプツンと切れるような感覚がする。

それがずっと嫌だ。

 


なんなら私は全ての線をこの両手で束ねて、そして結びたい。

何事も落とすことなく、全てクリアさせる。

そして、悦に入りたい。

 


そう、私はいつしか恐ろしきヴィラン「大忙人」と化していた。

 


こ、こうぇぇ〜〜〜!!

いやいやいやいや〜〜〜!!

寧ろ、シャベ〜〜〜〜〜!!

 


私はすぐ語源を調べてしまうきらいがあり、例に漏れず「忙しい」という言葉を見てみた。

すると"心を亡くす"と書いて「忙」という漢字が成り立っていると出てきた。

あの頃の私が忙しいと言う人に「あ、諦めたんだな」と感じたのは、まさにそういうことだったのかもしれない。どっか遠くへ行ってしまう気がしたのだ。

 


逆に「暇」というのは、要約すると「空間的なすきま」を意味しているという。

私の電波脳がびびびと反応する。

 


やっぱここに、な〜んかありそうだ。

 


何かに追われて生きるよりも、何かを追って生きる方が断然楽しそうだ。

それは当時、情景の念を馳せていた先輩たちの姿がまさにそうだったのであろう。私もなにかを追って生きていきたい。

というか、それ以外に面白いことなどこの人生に転がってなさそうだ、ということまでは現時点で分かっている。

そして、あの頃の己にセンスなっ!!!って思われたくない…。

 


はてな別の方。道のない進む小僧。

これは、さらしもののの覚悟であろう。

 


赤い屋根の上に寝転ぶ、凡人な黒ぶちこそが偉大な暇人なのである。

よし、新たな「こしあん日記」を綴ってまいる。